大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (28)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 17 (1961年『狂気の歴史』から)



「 十八世紀後半のなかで、狂気にたいする恐れは、非理性にたいする恐れと同時に増大し、その点でも、この二つの強迫観念の形態は、相互に依存しつつ、たえず補強しあう。しかも人々は、非理性にまつわる想像力の解放を目撃するまさにその時に、狂気がもたらす荒廃に苦情の声がますます高まるのを耳にする。すでに人々は、≪神経病≫がうえつけた不安感や、人間は自己完成をとげるにつれて、一段と弱々しくなるという意識を体験している。・・・・・・・・

ルソーの影響をごく身近に受けたジュネーヴの医師マテーは、理性をもつ正気なすべて人々に、狂気の到来を予告している。すなわち、『賢明なる文明人よ、自分のことを自慢してはならない。諸君がうぬぼれている、いわゆる知恵をくもらせ、なくしてしまうには、たった一瞬間があれば事足りるのだ。予期せざる一つの事件、魂に加えられる突然の烈しい感情は、どんなに理性的な人間をも、どんなにすぐれた精神の人間をも、突如として躁暴な人間や白痴に変えてしまうのだ』。狂気の脅威は十八世紀の緊急な諸課題のなかに位置をしめたわけである。・・・・・・」



「十八世紀になると、狂気の存在可能性は、ある≪媒体≫の仕組と同一視されはじめる。すなわち狂気は、失われた自然であり、混乱した感性、欲望の乱れ、調子の狂った時間であり、無限にある媒介物のなかに無媒介性が失われた姿である。・・・・・」



「狂気にたいする恐怖--十八世紀には狂気じたいの生成が生みだす諸影響への恐れであったけれども--は、十九世紀にはすこしずつ変化して、最後には、諸矛盾-ただし、それだけが狂気の構造の維持を保証しうりのであるけれども-にたいする強迫観念となる。狂気は、ブルジョア階級の秩序の持続にとっての逆説的な条件となったのである。・・・・・」



「十八世紀後半に完成しつつある動きの本質は、したがって、制度面の改革や制度の精神の刷新のなかに存するのではなく、狂人専用の保護院を規定し、それを別途に扱う〔制度上の〕こうした自然発生的な地すべりのなかに存している。狂気は監禁の円環(サイクル)を絶ちきったのではなくて、自分の位置を移動し、じょじょに隔たりをつくるのである。いわば、監禁という古い排他的な領域のなかに新しい排他的な領域ができたのであって、それはあたかも、狂気がついに自分の居場所を見出し自分自身と同一平面に存在できるために、こうした新しい亡命が必要であったかのようである。狂気は自分特有の生れ故郷を見出したわけである。なるほど、それは今度の新しい監禁は古い監禁の様式を忠実に守っているだけに、ほとんど知覚されない位置のずれであるけれども、しかし、そのずれは、ある種の本質的な事態、すなわち狂気を別個に扱い、かつて狂気がそのなかで雑然とごたまぜにされていた非理性にたいして、狂気を自律的なものにしはじめる事態が進行しつつあることを示している。・・・」



「われわれは十八世紀の奥底で狂人たちが彼ら自身をもとに区分され、彼らに固有に属する地位を占めるのを見るようになって以来、われわれにはっきり理解されるのは、十九世紀の狂人保護院、実証的な精神医学、ついに自らの権利が容認された狂気、これらがどのようにして可能になったか、という点である。世紀が移りかわるにつれて、すべてはしかるべき位置をしめる。すなわち、まず最初に監禁である。そこから最初の狂人保護院が生れでるし、またそこから、ピネルとテュークを生みだす例の好奇心-それはやがて憐れみの感情となり、いずれは人類愛と社会的な心遣いとなるーが誕生する。今度はピネルとテュークが大規模な改革運動-政府派遣委員による調査、大病院の創設-のきっかけをつくり、さらに最後にはエスキロールの時代と、狂気の医学の幸運とをきり開くのである。・・・・・・」





(つづく)