大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (29)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 18 (1961年『狂気の歴史』から)



「十八世紀は狂気にたいしてしだいに地位を認め、そのいくつかの相貌を区分したのであったが、それは狂気に近づいていくことによってではなく、反対に、狂気が遠ざかることによってである。狂気から遠ざかるということは、新しい次元をつくりだし、新しい空間と、いわば〔監禁施設のなかに〕もう一つの孤立状態を区切らねばならなかったし、その結果、こうした第二の沈黙のなかで、ついに狂気はしゃべることができるようになる。狂気が地位を占めるのは、人々によって狂気が遠ざけられる度合によるのであって、狂気にたいする注目のせいではなく、狂気を切り離す冷淡さのおかげである。・・・・・」



「・・・『きわめてひどい基準のおかげで、私は十五ないし二十人の躁暴な狂人とごちゃまぜにされ、癩癇病みといっしょにされてから、もう九カ月になります』。この十八世紀がだんだん進むにつれて、監禁へのこうした抗議はいっそう激しくなる。というのは、ますます狂気は、被監禁者たちの強迫観念となり、彼らの受ける侮辱の、うち負かされ沈黙させられている彼らの理性のイマージュそのものになるからである。・・・・・・

悪の見せしめ、それは狂人たちこそが監禁をしめす冷厳な真実であり、監禁の最悪の事態をあらわす受動的な道具であるというこの事柄のなかに存する。その証拠が認められるのは、監獄のなかで暮せば必然的に狂気に達するという事態-これまた監禁にかんする十八世紀のすべての文書にみられる陳腐さであるが-においてではあるまいか。この妄想の世界で、非理性が勝ちほこる場所で、あまり暮しすぎると、人間の宿命的な場所と事態のせいで、その生ける象徴たる連中(つまり狂人)にかならず同化してしまうのではあるまいか?『いずれ観察するのであるが、監獄や国立の牢獄に閉じ込められている気違いの大多数は、あるいは過度の虐待をうけたために、あるいは孤独の恐怖-孤独のなかでたえず彼らは、苦痛によって鋭敏になる想像力のためにおこる幻覚によって鋭敏になる想像力のためにおこる幻覚におそわれる-のために、気違いになったのである。』・・・・・」



「 十八世紀に、監禁にたいする政治的な批判がどのような仕方でおこなわれていたかが、わかるのである。それは、狂気を解放するという方向では全然おこなわれなかった。その政治的批判のおかげで、より人道主義的な配慮、より医学的な配慮が精神異常者たちへはらわれるようになった、ということも全然できないのである。それどころか、その政治的批判は、以前にもまして強固に、狂気を監禁に結びつけてしまった。しかも、二重の結びつけ方によって。狂気をして、監禁をおこなう権力の象徴そのものと化し、監禁の世界の内部におけるこの権力の執念ぶかく嘲笑的な代表者と化す、一つの結びつけ方。狂気を監禁のすべての処置の最高の客体として示す、もう一つの結びつけ方。抑圧の主体と客体、抑圧のイマージュと目的、抑圧の盲目的な専断さの象徴と抑圧のなかに存在しうる理性的で根拠のある事柄の正当化である。・・・・・



「 こうして、監禁の空間のまんなかに一つの空隙がつくられる。狂気が、理性にとって我慢ならないもの、還元されないものを含んでいる点で、狂気を別個に取り出し、それを告発する一つの空隙がつくられるのである。こうして今や狂気は、監禁されているすべての諸形態からも区別される特色をおびて現れる。狂人たちの現存が、監禁施設のなかでは不当なもの、ただし他の形態にとって不当なものとして現れる。非理性という不明瞭な単一性が採用されていたあの何もかも包み隠す仕方が、破られたのである。狂気が別個に扱われ、奇妙にも犯罪と双生児とされ、少なくとも、一つの近隣性によって、まだ問題にされない近隣性によって犯罪と結びつけられたのである。中身の一部に空隙ができたこの監禁のなかで、〔狂気と犯罪という〕この二つの形態だけは存続する。・・・・・・・・・」




*訳文は原文のまま


(つづく)