大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (27)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 16 (1961年『狂気の歴史』から)




「 十八世紀のなかば数年間、突然、一つの恐怖がおこった。医学的用語で表現されてものの、実際には道徳にかかわる神話に煽動されている恐怖、謎めいた不思議な病魔(病気であり、悪であり、不幸である)が、人の噂によると、監禁施設から伝染してやがて町をおびやかそうとしているわけで、人々はこの病魔におびえていた。--死刑囚をのせた車や鎖につながれた囚人たちが町を横切っていき、背後に病魔の跡を残していく、そんな例が引きあいに出されるのだった。あれこれと空想上の伝染病を想像してはそれを壊血病のせいにしながら、人々はこの病魔に汚染させられた空気が住宅地域をよごしにやってくる、と予想していた。こうして、中世にみられた恐怖の大いなるイマージュがふたたび幅をきかせるようになり、恐怖の比喩のなかに第二の恐怖をもたらすのである。監禁施設は、もはや人里離れたところにある癩施療院ではなくなり、都市の真向いにある癩病そのものになる。・・・・・」



「 以前には監禁施設のなかに排除されてきた病魔は、幻想的な姿をまとってたびたび現われ、一般大衆のはげしい恐怖の的となる。身体の病でもあり精神の病でもあり、こうした不確かな仕方で腐蝕と恐怖とのいりまざった力を含む病魔の諸主題が、生れ、あらゆる方向に小さく分れていくことに人々は気がつく。こうして、風俗の退廃と肉体の腐爛をともにひき起す≪腐敗≫という未分化の一種のイマージュがはびこり、それを基準にして、監禁された人間にたいする人々の嫌悪と憐れみは組み立てられる。閉ざされた監禁空間のなかで、病魔は活発に活動しはじめる。・・・・・・」



「 厳密な医学的思考においてではなく、幻想において、非理性は病気に似たものとなる。非理性的なものはどの程度に病理的であるか、を知る問題が形づくられないうちに、まえもって、監禁の空間では、それに固有な錬金術の働きによって非理性にたいする恐怖と病気にたいする古くからの懸念が入りまじるという事態が起こっていたのである。・・・・・・・・
医学人が監禁の世界に招請をうけたのは、罪と狂気との、病魔と病気との区分をおこなうための裁定者としてではなく、むしろ、監禁施設の壁をとおして漏れてでてくる正体不明の危険から他の人たちを守るための守護者として、だったのである。・・・・・・」



「人々が医師を招請して、病状を見守ってくれとたのんだのは、人々が恐怖心をいだいていたからだったのである。監禁施設の壁にかこまれた、その中で沸騰をつづけている奇怪な化学現象への恐怖、そこで形づくられ、今にも伝染しそうな恐れがあるさまざまの力への恐怖。・・・・・狂気が医学上の地位を獲得するにいたる、伝統的に言われている意味での≪進歩≫が、実際に可能となったのは、ひとえに不思議な復帰にもとづくのである。すなわち、精神の伝染病と身体の伝染病とが雑然といり組んでいる点で、また、十八世紀の人々にかくもなじみ深い、≪不浄なもの≫というこの象徴がもっている効力の点で、こうした非常に古い数々のイマージュは、人間の記憶にとどまるかぎりの昔にさかのぼるのである。しかも、認識が完全になったため、というよりも、このように想像作用がふたたび活発になったおかげで、非理性は医学的思考と対決される結果になったのである。逆説的に見えるだろうが、病気にかんする同時代のイマージュといりまじる、こうした幻想的な生の復帰によって、実証主義は非理性を支配するようになる、いやむしろ、非理性に抵抗する新しい根拠を発見するようになる。
 さしあたっては、監禁施設を廃止することは問題とならずに、新しい病魔の不慮の原因としてのこの施設から、その原因を除くことが大切だった。清浄にして施設を整えることが重要だった。それが最初の起源となって、大改良運動が十八世紀後半に展開されるのである。すなわち、不浄なものや蒸気を根絶し、すべての醗酵しているものを鎮めつつ、汚染をなくすこと、さまざまの病魔が空気をよごさないようにし、都市の空気のなかに伝染性のこうした病気がひろがらないようにすること。施療院や監獄など、すべての監禁施設は、できるだけ人里離れたところに設けられ、いっそうの清浄な空気にとりまかれなければならない。・・・・・・」




(つづく)