大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (33)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 22 (1961年『狂気の歴史』から)




「もはや狂気は、見られるものとしてしか存在しない。狂人保護院で設定されるこの近接関係、もはや鎖によっても鉄格子によってもこわされないこの近接関係、それが、〔人々と狂人との〕相互性を可能にするようになるのではない。こうした近接関係は、監視しうかがっている視線、いっそうよく見るために接近するけれども、<無縁な者>の価値しか受け入れず認めない点ではあいかわらずますます遠ざかる視線のもつ近接関係にほかならない。狂人保護院でいずれ展開されることができるような精神病の科学は、観点および分類の次元にしかけっして属さないだろう。それは対話ではないだろう。しかもほんとうに対話になりうるのは、精神分析が十九世紀の狂人保護院に本質的な、視線についてのこうした現象をはらいのけてしまい、この視線のひそかな魔術のかわりに言語活動の力をもちこむようになる時のことでしかないだろう。それはともかく、つぎのようになる時のことでしかないだろう。精神分析学は監視者の絶対的な視線を、被監視者のはてしない独白による言葉で裏うちするのであり、-かくして、狂人保護院における非相互的な視線の古い構造を保持しつつも、その構造を、返答のない言語活動の新しい構造によって、非対称的な相互性のなかで釣合わせるのである。・・・・・・・・」



「・・・・精神錯乱のために社会が充当していた空間は今では≪むこう側≫の人々、監禁する権勢の威光と同時に裁定する理性の厳密さを代表する人々が足しげく出入りする場所になる。監視者は武器も拘束具ももたずに、ただ視線と言語だけでもって介入する。・・・・・・・・・
自分は狂人ではないという事柄から生じる権威を託されて狂気と対決するようになる。かつては、非理性にたいする理性の勝利は具体的な力によってしか、しかも一種の実際の格闘においてしか保証されていなかった。今では、この格闘はつねにすでに演じられているのであり、非理性の敗北は、狂人と狂人ならざる者が対決する具体的な状況のなかに前もって刻みこまれている。十九世紀の狂人保護院のなかに拘束がないということは、非理性が自由に解き放たれている姿ではなく、ずっと前から狂気が支配されている姿である。・・・・・」




「・・・・・いずれ将来、家族は一般的には病者への救済と慰めという役目をはずされる一方では、狂気にかんしては前述の仮構上の諸価値を保持するだろう。しかも、貧民の病気にたいする世話がふたたび国家の仕事となってからも長い間、狂人保護院は家族という強制的な擬制のなかに狂人を保持するようになる。狂人はやはり未成年者のままであろうし、長らく理性は狂人にたいして、<父親>の特徴を保ちつづけるだろう。・・・・・・・」



「(*ピネル)この場合は、鎖をといてやることは逆説的な意味をおびている。以前には、独房、鎖、他人の不断の注目の的、嘲笑、それらがこの病者の妄想にとっては自分の自由の構成要素を形づくっていた。そうした事態そのものによって認知され、また多くの共謀関係によって外部から呪縛されていた彼は、自分の無媒介な真実から遠ざけられるということはありえなかった。ところが、鎖がとかれ、皆がこちらに関心をしめさず黙りこんでしまうと、そうした事態のせいで彼は、うつろな自由をきりつめて用いざるをえない。・・・・・・・
敵意にみちた人々の視線としてではなく、注目の拒否として、そむけられた視線として感じる。彼にとって他の人々はもはや一つの境界、彼が前へ進めば進むほど後退しつづける境界にすぎない。鎖をとかれたにもかかわらず、今や彼は沈黙の力によって、罪と恥にしばりつけられている。・・・・・・」





(つづく)