大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (35)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/






フーコー語録 23 (『フーコー思考集成』(筑摩書房)から)
          *「狂気の歴史」は前回で終了



5.「狂気は社会のなかでしか存在しない」 1961 インタヴュー

「私は精神医学者ではありません。私にとって重要なのは、狂気の起源そものについての問いかけなのです。精神科医たちの善良ぶった意識は私を失望させてきたのです。・・・・当時・・・・から精神医学の歴史を書くように依頼されたのです。私は医師と狂人との関係についての本を書くことを提案したのです。理性と非理性との永遠の論争を書こうと思いついたわけです。・・・・・

おもにデュメジルから影響を受けてもいるんです。彼の構造という考え方によってです。デュメジルは神話に対してそれを適用しているのですが、私はその図式が変形をともなって様々なレヴェルに見出されるような、経験の構造化された諸形式を発見しようと試みたのです。
(その構造とはどのようなものでしょうか?)
それは社会選別の構造、排除の構造です。中世においては、排除は癩病患者や異端者に向けられる。古典主義文化は、一般施療院、矯正院、労働の家、など癩病院から派生したあらゆる制度によって排除を行なうのです。私は排除性の構造の変化を記述しようとしたのです。・・・・・・・

狂気は野生の状態では見出されないものなのです。狂気は社会においてしか存在しない。狂気はそれを孤立化する感受性の諸形態、それを排除し捕捉する嫌悪の諸形態の外に存在するものではないのです。したがって、中世には、そしてルネサンスにおいては、狂気は社会の地平のなかに審美的あるいは日常的事実として現前しているといえる。つづいて、十七世紀においては、-監禁が始まってからは-、狂気は沈黙と排除の時代を横切ることになる。狂気は、シェイクスピアとセルバンティス(例えば、マクベス夫人は、狂人にんさったときに真理を語り始める)の時代にもっていた、あの顕現と暴露の機能を失い、嘲笑すべき虚偽のものとなったのです。そして、二十世紀はついに狂気に手をつけ、世界の真理に結びついた自然現象に還元してしまった。狂気のこの実証的な所有化から派生したのは、一方では、すべての精神医学が狂人に対して顕にする侮蔑的な博愛主義であり、他方では、ネルヴァルからアルトーにいたる詩に見出される叙情的な大いなる抗議であって、それを監禁によって無に帰せられた深遠性と暴露の力を狂気の経験に再び与えようとするものです・・・・」



52 「宗教的逸脱と医学」  1962

「近代の意識は、正常と病的の区別に、不規則、逸脱、不合理、不正、さらには犯罪的なるものを区切る力を与えがちです。近代意識が外部のものと感じるすべてに、裁くときには排除の、説明する場合には包含の地位をこうして与えるのです。われわれの文化の中で境界線の両側に適当なものと逸脱するものを分配する根本的な二分法の総体は、そこに正当化と見かけ上の基礎を見出します。しかし、それらの威信にまどわされてはいけません。それらが制定されたのは最近のことであり、正常と病的の間に線を引くという可能性自体、さらに古い時代には述べられたことはありませんでした。どれほど奇妙に見えようとも、西洋世界には数千年の間、正常と病的が根本的なカテゴリーをなさない病気認識に基づく医学があったのです。・・・・・・・・」



55  「フーコーサルトルに答える」 1968

「十九世紀は、非常に重要なものがいくつか考え出された世紀でした。例えば微生物学がありますし、電磁気学などもそうですが、この世紀はまた、人間科学が創出された世紀でもあります。人間科学を創出するということ、このことは見たところ、人間を或る可能な知の対象とすることであった、というふうに思われます。それは、人間を認識の対象として構成するということでした。・・・・・・・・・・」





(つづく)