大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンア・アーレント語録 (6)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



「1941年6月22日にヒットラーソ連攻撃を開始し、その6~8週間後アイヒマンはベルリンのハイトリッヒの事務室に呼び出された。・・・・

ハイトリッヒはアイヒマンの課が「肉体的抹殺には全然関係せず、その任務は純粋に警察的なものに、この場合には要するに誰にも理解される程度のものに限られている」と言い、この件全体は「財務および管理本部の権限下に置かれた」-つまり彼のRSHA(*国家公安保安部)ではないー、そして絶滅を意味する暗号は<最終的解決>とされることになっていると教えたのである。
 実はアイヒマンヒットラーの意向を最初に知らされるような人人の部類には全然はいっていなかった。ハイトリッヒが数年前から、おそらくは戦争開始このかた最終的解決を目指して動いて来たこと、ヒムラーが1940年夏のフランス降伏直後にこの<解決>について聞かされたと主張していることはわれわれもすでに見ている。・・・・・・

アイヒマンは、・・・決して党の上層部に属してはいなかった。彼は特定の限られた仕事をするために心得ておかねばならぬことだけしか聞かされなかった。下級幹部でこの<極秘>事項ーニューズが党および国家の諸機関、奴隷労働と関係あるすべてのすべての企業、そしてすくなくとも国防軍の将校団にひろがってしまってからでも、この件はなお<極秘>とされていたーを知らされたもののうちでは、いかにも彼は最初のほうの人間だった。それにしても、この秘密保持には一つの実際的目的があったのだ。フユーラー(*ヒットラー総統)の命令をはっきりと聞かされた者はもはや単なる<命令受領者>ではなくなり、<秘密保持者>に昇格して、特別の宣誓をおこなわせられたのである。・・・・・

 その上、この件に関する一切の通信には厳重な<用語規定>が課せられ、特務部隊からの報告(*東部における大量虐殺)を別とすれば、<絶滅>とか<一掃>とか、<殺害>というような不適当な言葉が出て来る書類が見つかることはめったにない。殺害を意味するものと規定されていた暗号は<最終的解決>、<移動>および<特別処置>だった。移送は<移住>、および<東部における就労>とされたが、いかにもユダヤ人は一時的にゲットーに居住地に移され、そのうち一定の率の人間が一時的に労働力として使われたのである。特恵ユダヤ人のための<老人ゲットー>であるテレージエンシュタットに送られるユダヤ人の場合は別で、これは<住所変更>という名称が用いられた。


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この用語規定方式の掛値なしの効果は、それを使う連中に自分らのしていることを自覚させないことにあるのではなく、殺害や虚言について彼らが抱いている古い<正常な>知識によって自分のしていることを判断するのを妨げることにあった。スローガンや極り文句の虜となりやすい、しかも普通の話し方をすることができないというアイヒマンの性格は、言うまでもなく彼を<用語規定>に誂え向きの人間としていた。・・・・・」



「実はアイヒマンはそれほど多くは見ていなかったのである。彼が死の収容所のなかでも最も大きな、最も有名なアウシュヴィッツを何度も訪れているのは事実だが、しかし上部シレジアの80平方マイルの面積を占めるアウシュヴィッツは決して単なる絶滅収容所ではなかったのである。それは十万人にも及ぶ収容者をかかえた巨大事業であり、そこにはガス殺の対象とならない非ユダヤ人や奴隷労働者を含むありとあらゆる囚人がいた。・・・アイヒマンと非常に親しくしていたヘス(*収容所長)は身の毛もよだつ場面は見せないようにした。彼は大量銃殺刑を直接目撃しなかった。ガス殺の過程を直接観察しはしなかった。アウシュヴィッツではガス殺に先立っておこなわれる労働適格者の選抜(平均して各輸送毎に約25%)も見なかった。しかし彼は、破壊装置の営みについて充分の知識を得るだけのものは見た。すなわち、殺害方法には射殺とガス殺の二つの方法があること、射殺は特務部隊によって、ガス殺はガス室もしくは有蓋トラックによって収容所内でおこなわれていること、そして収容所では犠牲者たちを最後まで欺きおおせるように巧妙な措置が取られていること。・・」



ユダヤ人の特別班はどこでも実際の殺害の場で使われていたのだが、彼らは「差迫った死の危険」を逃れるために犯罪的行為をおこなったのだし、またユダヤ人評議会員や長老たちがナツィに協力したのは、「その結果がより重大なものとなることを避け」られると考えたからであった。・・・・」



「・・・一人の平均的な人間が犯罪に対して生来抱いている嫌悪感を克服するのにどのくらいの時間を必要とするか、そして一旦そこまで行ってしまうと彼はどうなるかということは、法的には重要でなくとも政治的には非常に興味あることなのだ。この問題に対してアードルフ・アイヒマン裁判はこれ以上とはなく明確な的確な答を与えているのである。・・・・・」






(つづく)