大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (7)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



「・・・第一回の輸送はラインラントの二万人のユダヤ人と五千人のジプシーだったが、このとき或る奇妙なことが起った。自分の責任で決定を下すことを決してせず、かならず命令で〈守られる〉ようにひどく気を使っていたアイヒマン、みずから進んで人に提案することを好まず常に<指令>を求めたアイヒマンが、今度は命令にそむいて自分の意志で行動したのだが、こんなことはこれが最初で最後だった。彼はこれらの人々を、特務部隊によってただちに射殺される運命の待つロシアの占領地域内のリガもしくはミンスクに送らずに、ロズのゲットーに差向けた。彼はロズでは絶滅の準備ができていないことを知っていた。・・・・・

彼に与えられた命令にははっきりと、<最終目的地、ミンスクまたはリガ>と書いてあったのだ。しかし、アイヒマンがこれについてすべてを忘れていたとしても、あきらかにこれが彼が実際にユダヤ人の命を救おうとした唯一のケースだったのである。
・・・・・・・

そうだ、アイヒマンにも良心はあった。しかし彼の良心が正常に機能したのはおよそ四週間ばかりで、その後は逆の方向に機能しはじめたのだ。」



「・・・・・総統命令を知らされる何週間も何か月も前からアイヒマンはすでに東部における特務部隊の殺戮について知っていた・・・戦線のすぐうしろでロシアの幹部(共産主義者)、知的職業に属するポーランド人、ユダヤ人住民が大量銃殺で殺されているのを彼は知っていた。・・・・

殺人ということにはアイヒマンの良心は抵抗をおぼえなかった。ドイツのユダヤ人が殺されることに抵抗をおぼえたのだ。・・

何かに抵抗をおぼえるとすれば<われわれの文化圏>の人々に対する殺害についてだけだというようなこの種の良心は、ヒットラー政権の後まで生き残っている。今日でもなおドイツ人のあいだには、オーストユーデンすなわち東欧のユダヤ人だけが殺戮されたのだという根強い<誤伝>が存在しているのだ。
 それに<原始的な>人を殺すことと<文化的な>人を殺すことを区別するこの思考方式はドイツ国民の独占ではないのである。・・・」



「・・・1944年7月の反ヒットラー陰謀の参加者たちがその文通のなかで、またヒットラー暗殺に成功した場合にそなえて準備していた声明のなかで、東部における大規模な虐殺に触れることがきわめてすくなかったことを考えると、ナツィはこの良心の問題の重要性をひどく過大評価していたのだと結論したくなるほどだ。・・・・・
当時はこの運動(*反ヒットラー運動)は反ファシスト的なものであり、もっぱら左翼の運動であって、原則として道徳的問題を、いわんやユダヤ人迫害を重視していなかった。ユダヤ人迫害のごときは、左翼の見解では政治の全局面を決定する階級闘争から目をそらせるものにすぎなかったのである。・・・・
七月陰謀の参加者の大部分は、実はかつてのナツィか、もしくは第三帝国で要職にあった人々だった。彼らの反対運動を燃え上らせたものはユダヤ人問題ではなく、ヒットラーが戦争の準備をしているという事実だった。そして彼らを悩ました限りない良心の呵責は、ほとんどもっぱら国家への叛逆とヒットラーへの忠誠宣誓の破棄をめぐるものだった。・・・・彼らが最も心にかけていたことは最後まで、どうすれば混乱を防ぎ内戦の危険を避け得るかということだった。・・・・・・彼らは東部でおこなわれていることについてきわめて正確な知識を持っていたのだが、この場合ドイツで起り得る最善のことは公然たる叛逆と内戦であると考える勇気があったものは一人もいなかった。・・・・」



「戦時中には<組織された社会主義的抵抗運動>はドイツには存在しなかった。・・・・
 事実、事態は単純であり、同様にまた絶望的だった。ドイツ国民の圧倒的多数はヒットラーを信じていたーロシアへの進攻と恐れられていた両面作戦がはじまった後も、アメリカが参戦した後も、いやそれのみか、実にスターリングラード陥落、イタリアの裏切、フランスへの上陸の後にすらも。この確固たる多数派に対して、数ははっきりしないが国の破局と道徳的破局をはっきり見抜いている孤立した人々がいた。・・・・」



「彼ら(*ヒットラーに反対した人々)のうちの多くの者の勇気は感嘆すべきものだったが、しかしこの勇気は道徳的な憤りやほかの民族がどんな目に遭わされているかということから湧き上がったものではなかった。彼らの動機は、ドイツが敗北し壊滅するにちがいないという確信だけだったと言っていい。・・・・・

「連合軍と交渉するに当って、われわれの立場をきわめて困難にする」とか、「ドイツの名声を汚すもの」であるとか、軍の士気を崩すとかいう以上のもの、もっと恐ろしいものであることには、彼らは全然思い及ばなかったように見える。・・・」





(つづく)