大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (9)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



「たとえば私は、ナツィ党に入党するちょっとした手続きをすることよりも、独立的な生活を放棄して一介の工場労働者になることを選んだ或る職人を知っている。少数の人々はまた、宣誓というものを軽視せず、たとえばヒットラーの名によって宣誓するよりも大学の教職を断念するほうを選んだ。これよりももっと数が多いが、自分らの知っているユダヤ人を助けようとした労働者たちー特にベルリンのーと社会主義的知識人たちのグループもあった。
 最後に、ギュンター・ヴァイゼンボルンの『声なき蜂起』(1953年)に語られているあの二人の農民少年がいる。彼らは戦争末期にSSに引き入れられたが、署名を拒んだ。彼らは死刑を宣告され、処刑の日に家族へ宛てた最後の手紙のなかに、「僕たち二人は、あのような重荷を心に負うくらいなら死んだほうがいいと思います。SS隊員がどんなことをしなければならないか僕たちは知っています」と書いた。
実際的には何もしなかったこれらの人々の立場は、陰謀者(*反ヒットラー)たちのそれとはまったく違っている。善悪を識別する彼らの能力はまったくそこなわれてはおらず、彼らは全然<良心の危機>には襲われなかった。抵抗運動のなかにもこのような人間はいたかもしれない。
しかしこのような人々が、一般民衆のなかよりも陰謀者たちのあいだに多かったなどということはまずあるまい。彼らは英雄でも聖者でもなかった。そして完全に沈黙していた。
絶望的な行動によってこのまったく孤立した無言の分子が公然と姿をあらわしたことが一度だけある。それはミュンヘン大学の学生ショル兄妹がその師クルト・フーバーの影響を受けて有名なパンフレットをくばったことだが、このパンフレットのなかでヒットラーははじめてその真の名でー大量虐殺者と呼ばれたのである。・・・・」

*ショル兄妹の記事(Kemukemu)
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611/51232556.html



「・・・人殺しとなりさがったこれらの人々の頭にこびりついていたのは、或る歴史的な、壮大な、他に類例のない、それ故容易には堪えられるはずのない仕事(二千年に一度しか生じない大事業)に参与しているという観念だけだった。このことは重要だった。殺害者たちはサディストでも生まれつきの人殺しでもなかったからだ。反対に、自分のしていることに肉体的な快感をおぼえているような人間は取除くように周到な方法が講ぜられていたほどなのだ。アインザッツグルッペン(*特務部隊)は武装SSードイツ国防軍のいかなる正規部隊にくらべても特別犯罪がの記録が多いと言えない戦闘部隊ーから引抜かれていたし、その指揮官たちは学位を持つSSエリットのなかからハイトリッヒによって選ばれていた。してみると問題は、良心ではなく、正常な人間が肉体的苦痛を前にして感じる動物的な憐みのほうを圧殺することだった。ヒムラーー彼自身このような本能的な反応にどちらかというと強く悩まされていたほうらしいがーの用いたトリックはまことに簡単で、おそらくまことに効果的だった。それは謂わばこの本能を一転させて自分自身に向わせることだった。その結果<自分は人々に対して何という恐ろしいことをしたことか!>と言うかわりに、殺害者たちはこう言うことができたわけである。自分の職務の遂行の過程で何という凄まじいことを見せられることか、この任務は何と重く自分にのしかかって来ることか!と。・・・・」







(つづく)