大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (12)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から





「・・・アイヒマンにとってこの会議(*1942年1月ユダヤ人の最終的解決を正式に決定したベルリン郊外のヴァンゼーで行われた会議:通称ヴァンゼー会議)の日が忘れがたいものとなった・・彼は最終的解決に協力するためにこれまで最善をつくして来たけれども、<暴力によるこのような血なまぐさい解決>についてのいくらかの疑念がまだ彼の心にひそんでいた。その疑念が今晴れたのだ。「今やこのヴァンゼー会議で当時の一番偉い人々が、第三帝国の法王たちが発言したのだ。」ヒットラーだけでなく、ハイトリッヒや<スフィンクスミュラーだけでなく、SSや党だけでなく、伝統を誇る国家官僚のエリットたちまでもがこの<血なまぐさい>問題において先頭に立とうと競い合っているのを、彼は今その目で見その耳で聞くことができたのだった。「あのとき私はピラトの味わったような気持ちを感じた。自分には全然罪はないと感じたからだ。」自分は判断を下せるような人間か?「この問題について自分自身の考えを持てる」ような人間か?・・・・

 アイヒマンの記憶するところでは、その後は何もかもまずまず順調に進み、間もなく慣習的な仕事になってしまった。以前<強制的移住>の専門家だった彼はたちまち<強制移動>の専門家となった。一国が終ると次の国へという調子で、次々にユダヤ人は登録させられ、すぐにそれとわかるような黄色のバッジをつけるように命じられ、そして狩り集められ、移送され、東部のあれこれの絶滅収容所へその時々の収容能力に応じて異なる人数が振向けられた。・・・・」




「外務省は被占領国や同盟国の政府当局と接触し、その国のユダヤ人を移送させるように圧力をかけ、また場合によっては、殺戮収容所の消化能力をよく考えもせずにあわただしく乱雑にユダヤ人を東部へ送るのを妨げていた。・・・・
 法律専門家たちは犠牲者の国籍を奪うのに必要な立法措置を講じたが、このことは二つの点で重要だった。第一に、無国籍にしておけばどこかの国が彼らの運命がどうなったかを調べることはできなくなる。第二に、そのユダヤ人たちの居住国に彼らの財産を没収する権利が生ずる。大蔵省とドイツ中央銀行は全ヨーロッパからの厖(ぼう)大な掠奪財産ー時計や金歯をも含むーを受取る機関を設け、これらのものはすべて中央銀行で分類され、それからプロイセン造幣局へ送られていた。運輸省は車輛不足の甚だしかった時期でも移送に必要な車輛ー大抵は貨車だったーを提供し、移送列車の運行時間が他のダイヤとぶつからぬよう調整した。
 ユダヤ人評議会はアイヒマンもしくは彼の部下から、各列車を満たすに必要な人数を知らされ、それに従って移送ユダヤ人のリストを作成した。そしてユダヤ人たちは登録され、無数の書類に記入し、没収が円滑におこなわれるように何ページにもわたる財産についての調査書に書きこんだ。それから彼らは集合地点に集り、列車に乗った。隠れたり逃げたりしようとしたした者はほんのわずかだったが、彼らは特設したユダヤ人警察に逮捕された。アイヒマンの目のとどくかぎりでは、一人として抗議するものはなく、協力を拒むものもなかった。・・・・・」



「・・・・・スターリングラードでの絶大な損害の後にドイツの上に降って来た、アイヒマンの所謂<死の旋風>-ドイツの都市への絨毯爆撃のことで、これこそ市民殺害についてのアイヒマンのおきまりの言訳であったし、また今日でも殺戮についてドイツで聞かされるおきまりの言訳であるーは、イェルサレムで報告された残虐行為とは種類が違うがその惨たらしさは劣らないような光景を日常の経験としてしまった。このことは、問題の時点に良心が残っていたとすれば、それを和らげ、いやむしろそれを押殺すのに寄与したかもしれない。しかし良心が残っていたという証拠はないのである。
 絶滅機構は、戦争の恐怖がドイツ自体を襲うよりもはるか以前に計画され、細部にわたって仕上げられていたのだし、その複雑な官僚組織は安易な勝利に酔っていた年月にも敗北の予想される最後の年にも同じ精確さをもって動いていたのだ。
 支配的エリットの、なかんずく上級SS指導者たちの戦線離脱は、人々にまだ良心が残っていたかもしれぬ初期の段階にすらほとんどなかった。それが見られはじめたのは、ドイツが戦争に負けようとしていることがはっきりしてからのことである。のみならず、そのような戦線離脱は機構全体を狂わすほど重大なものでなかった。それはばらばらな行動にすぎず、しかも慈悲心ではなく金に動かされたにすぎない。また、良心に動かされたのではなく、この先の暗黒の時代にそなえて少々金を稼ぐかコネを作っておきたいという欲望に駆られたにすぎない。絶滅を中止し殺人収容所の施設を撤去せよとの1944年秋のヒムラーの命令は、連合国はこうした好意的な態度をどう評価すべきか知っているはずだという、彼の馬鹿げてはいるが大真面目な確信から出たものだった。・・・・・」







(つづく)