大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (13)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から




「 アイヒマンの語ったところでは、彼の良心をなだめるについて最も効果的な要因は、最終的解決に実際に反対する人には一人もーまったく一人もー会わなかったという事実そのものだった。・・・・・・・勿論彼は、ユダヤ人の絶滅についてユダヤ人自身が世の人々と同じ熱意を持つことは期待しなかったが、単なる従順以上のもの、つまり協力を要求していたーそして本当に驚くべき程度にそれを得ていたーのだ。これが彼のすべての仕事の「言うまでもなく基礎」だったーヴィーンにおける彼の活動の場合と同様に。事務や警察の面でのー・・・・ベルリンにおける最後のユダヤ人の狩込みは完全にユダヤ人警察のみによってなされたーユダヤ人の助力がなかったとすれば、完全な混乱状態に陥るか、あるいはドイツの労働力に対する堪えがたい重圧が生ずるかしただろう。・・・・犠牲者の協力がなかったら、数千人ばかりの人手で、しかもその大部分は事務室で働いているというのに、何十万もの他の民族を抹殺することはほとんど不可能だったということは疑いない・・・・」



「だから占領地域ではキスリング政権(傀儡政権)の設立とともにユダヤ人の中央機関が設置された。そして、・・・ナツィは傀儡政府の樹立に成功しなかった国ではユダヤ側の協力を得ることはできなかった。しかしキスリング政権のメンバーは普通それまでの反対党から選ばれたのに対し、ユダヤ人評議会のメンバーになったのは原則としてその土地で認められているユダヤ人指導者であり、ナツィは彼らに絶大な権力を与えた。」



「自分の民族の滅亡に手を貸したユダヤ人指導者のたちのこの役割は、ユダヤ人にとっては疑いもなくこの暗澹たる物語全体のなかでも最も暗澹とした一章である。・・・・この協力問題においては、中欧や西欧の高度に同化されたユダヤ人社会と東部のイディッシュ語を使う大衆とのあいだに何らの相違もなかった。アムステルダムでもヴァルシャワでも、ベルリンでもブダペストでも、ユダヤ人役員は名簿と財産目録を作成し、移送と絶滅の費用を移送させる者から徴収し、空家となった住居を見張り、ユダヤ人を捕えて列車に乗せるのを手伝う警察力を提供するという仕事を任されており、そうして一番最後に、最終的な没収のためにユダヤ自治体の財産をきちんと引渡したのだ。彼らは黄色いバッジをくばった。・・・・・



「彼ら(*ユダヤ人評議会)が出した声明文はナツィの影響はあったが口写しに書かれたものではない。けれどもこれを読むと、いかに彼らがこの新しい権力を喜んでいたかが今なお感じ取れるー「ユダヤ人評議会は、すべてのユダヤ人の精神的物質的財産とすべてのユダヤ人労働者を自由に処理する権利を賦与された」と、ブダぺスト評議会の最初の告示はこれを表現しているのだ。ユダヤ人役員たちが殺害の道具とされたときにどのように感じたかをわれわれは知っている。-「沈みかけた船を、その貴重な積荷の大部分を海中に投じることで無事に港までみちびくことに成功した」船長のように、「百人を犠牲にして千人を救い、千人を犠牲にして一万人を救った」救い主たちのように彼らは感じたのだ。事実はこれよりも惨憺たるものだった。・・・・選抜を<盲目の運命>の手に委ねぬためには、<真に神聖な基本方針>が必要だった。「知らない人間の名前を紙に書くことによってその人間の生死を決定する弱い人間の手を導く力として」の基本方針が。ではこの<神聖な基本方針>は、救うべき人間として誰を規定していたか?カストナー(*シオニスト運動のリーダー)がその報告のなかで言っているように、それは「生涯を通じて共同体のために働いた者」-つまり役員ー「最高の名士」だったのだ。・・・・」







(つづく)