大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (14)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から





「・・・ユダヤ人に秘密を誓わせようとは誰も思わなかった。彼ら(*ユダヤ人指導者)は自発的な<秘密保持者>だったーカストナー博士(シオニスト指導者)の場合のように、静穏を保たせ恐慌を避けようという意図から、あるいはまたベルリンの大ラビ(*ユダヤ教の宗教的指導者)だったレオ・ベック博士の場合のように、「ガス殺を予期して暮すほうが堪えがたい」という<人間的な考慮>から。アイヒマン裁判の際一人の証人がこの種の<人間性>の生んだ不幸な結果を指摘したー多くの人々がテレージェンシュタット(*特例のユダヤ人の強制収容所)からアウシュヴィッツへの移送を志願し、彼らに真実を告げようとした人々を<正気でない>と非難したのである。われわれはナツィ時代のユダヤ人社会の指導者たちの相貌をよく知っている。ロズのユダヤ人長老で、自分の署名のはいった紙幣と自分の肖像のはいった切手を発行し、こわれた馬車で歩きまわった、ハイム一世と呼ばれたハイム・ルムコフスキーから、ユダヤ人警官は「より親切で人を助け」「苦しい試練をやわらげてくれる」と信じていた。実は、彼らにとっては生命の問題だったから、勿論より苛酷で買収されることもすくなくなかったのだが・・・・・・・・

 アーデナウアー政府に迷惑をかけないように非常に気をつかっていた検察側が、この問題を公然と論ずることを避けねばならなかったことは、ほとんど理の当然である。・・・・・

SS(ナチ親衛隊)がいくつかの一般方針を与え、送られるものの人数、年齢、性別、職業ならびに出身国を定めた上で、ユダヤ人評議会がリストを作成したのである。死へ送られる人々を指名するのは、わずかの例外を除いてユダヤ人の仕事だったことを認めねばならなかったとすれば、検察側の主張は力を弱められただろう。・・・・さらになお重要なことは、迫害者と被害者を明確に区別する検察側の全体像もまた大いにそこなわれただろうということである。すべての収容所におけるカポ(*収容所監視員)
制度と、特にアウシュヴィッツにおけるユダヤ人特別班の役割は広く知られているから。・・・・・・」




絶滅収容所で犠牲者の殺害に直接手を下したのは普通ユダヤ人特別班だったという周知の事実は、検察側証人によっていさぎよくはっきりと確認されたー彼らのガス室や遺体焼却炉での働きも、遺体から金属を抜き毛髪を切り取ったことも、墓穴を掘り、また大量殺人の痕跡を消すために後になってふたたびその同じ穴を掘りかえしたことも、死刑執行人すらユダヤ人が勤めるほどにユダヤ自治制が実施されていたテレージェンシュタットではユダヤ人の技術者がガス室を作ったことも。しかしこれらは恐ろしいことであるにすぎず、道徳的問題ではなかった。収容所での労働者の選択と部類分けはSSによっておこなわれ、SSはあきらかに犯罪的分子を好んでいた。・・・・・・

道徳的問題は、たとい最終的解決という事態のもとであろうともユダヤ人がおこなったナツィへの協力について語るアイヒマンの説明のなかにーその真実を語る部分にあった。・・・・」




「してみると<全体像>からの最も重要な脱落は、ナツィ支配者とユダヤ人当局との協力についての証人が欠けていたこと、それ故、「君の属する民族の滅亡、ひいては君自身の破滅にどうして君は協力したのか?」という問題を提起する機会がなかったことだったのである。・・・・」





(つづく)