大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (16)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から




「・・・彼(アイヒマン)が求めたのは<苦しみを和らげること>よりも、以前からナツィが認めていたはっきりしたカテゴリーに応じて、苦しみを免除することのほうだった・・・これらのカテゴリーをドイツのユダヤ人は最初から抗議もせずに受容れていた。そして、ポーランドユダヤ人に対するものとしてのドイツのユダヤ人、普通のユダヤ人に対するものとしての従軍ユダヤ人と受勲ユダヤ人、最近帰化したユダヤ人に対するものとしての代々のドイツ家系ーこうした特恵的カテゴリーの容認が尊敬すべきユダヤ人社会の道徳的崩壊の始まりだったのだ。・・・・・

言うまでもないことだが、ナツィ自身はこのような区別を本気で考えたことは全然なかったのだ。彼らにとってはユダヤ人はユダヤ人だた。しかしこれらのカテゴリーは最後まで或る役割を演じた。なぜならそれはドイツ人住民のなかにある或る不和を鎮めるのに役立ったからである。移送されるのはポーランドユダヤ人だけだ、兵役逃れをした奴だけだという調子だったのだ。目を閉ざそうと思わない人々にとっては、「原則をできるだけ容易に守るためにいくらかの例外を認めることは一般的なならわしである」ということははじめからあきらかっだったに相違ないのだが。
 これらの特恵的カテゴリーの容認において最も有害なことは、自分の場合を<例外>とすることを要求する者はすべて、暗黙のうちに原則を認めてしまっていたことである。しかしこのことは、優遇的な処置を要求し得る<特例>のことで頭が一杯になっているこれらの<善人>-ユダヤ人たると非ユダヤ人たるとを問わずーには一見全然理解されなかったらしい。・・・・・」




「戦後においてすらカストナー(*シオニスト運動の指導者)は、1942年にナツィが正式に定めたカテゴリーに入る<ユダヤ人名士>を首尾よく救ったことを自慢していた。彼の考えでは有名なユダヤ人が普通のユダヤ人よりも生き残る権利があるのは当然だとでもいうように。このような責任ーそれは結局、無名の大衆から<有名>人士を選り分けるナツィの努力を助けることになるのだからーを引受けることは、「死に直面する以上の勇気が必要だった」。しかしユダヤ人であれ非ユダヤ人であれ<特例>を是認する者が自分のおこなっている無意識の共犯に気づかなかったとしても、実際に殺害に関係している連中の目には、すべての非特例に死を宣告するこの原則を相手が暗黙に承認していることはまことに明白だったはずである。この連中はすくなくとも、例外を認めてくれと頼まれ、そして場合によってはそれを認めて感謝されることで、自分らのしていることの適法性を敵に承服させたものと感じていたに相違ない。・・・・・」



「今日のドイツでも、このユダヤ人<名士>という観念は人々の念頭から去っていない。従軍軍人その他の特恵的ユダヤ人のグループについてはもはや誰も何とも言わないが、ほかのすべての人々は無視されても<有名な>ユダヤ人の運命は今なお歎かれている。特に文化的エリットのあいだには、ドイツがアインシュタインを追放したことを遺憾だとする声を挙げるものが今もって多い。だが彼らは、そこらの町角にいるハンス・コーン少年を殺すことのほうがはるかに大きな罪だったことを知らないのだ、たといこの少年が天才ではなかったとしても。」






(つづく)