大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録 (19)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から





「 最終的解決の唯一の計画者だったヒットラーにとっては、経済上軍事上の問題をさしおいてまず第一に遂行しなければならない戦争の主要目標の一つだったもの、そしてアイヒマンにとっては日常の千篇一律な手続きやさまざまの起伏を含む一つの仕事にすぎなかったものが、ユダヤ人にとってはまさに文字どおり世界の終りだったのである。
 彼らは何百年にもわたってその当否はともあれ自分たちの歴史を、まさにこの裁判の冒頭演説で述べられたように長い受難の物語として理解する習慣を身につけていた。しかしこの態度の裏には長期にわたって、Am Yisrael Chai すなわちイスラエルの民は生きつづけるという誇らかな信条が秘められていた。
 個人としてのユダヤ人、ユダヤ人の家族はポグローム(*集団的な迫害行為)で死ぬかもしれない、ユダヤ人の町や村は掃滅されるかもしれない、しかし民は生きつづけるだろう。
 彼らは今まで一度も大量殺戮(ジェノサイド)には直面させられていなかったのだ。のみならずこの古くからの慰めはもはやまったく必要がなかった、すくなくとも西ヨーロッパでは。
 古代ローマ以来、換言すればヨーロッパ史の発端以来、ユダヤ人は善きにつけ悪しきにつけ、その悲惨においても栄光においても、ヨーロッパ国民共同体に属していた。
 しかしこれまでの五百五十年のあいだは主として善い面のほうでそうだったのだし、栄光の機会もきわめて多く、中欧や西欧ではそれが普通だと感じられるまでになったほどだ。それ故、ユダヤの民が最後まで生き残るだろうという確信などはユダヤ人社会の大部分ではもはや大した意味を持たなかった。ユダヤ人なきヨーロッパを思い描くことができないと同様に彼らにはヨーロッパ文明の枠の外にユダヤ人の生活を想像することはできなかったのである。
 世界の終りは驚くべき単調さでやって来たのであるが、しかしそれはほとんどヨーロッパにある国の数と同じだけの多様な形態と様相を呈した。
 このことはヨーロッパ諸国民の形成と国民国家体制の発生ということをよく知っている歴史家にとっては驚くべきことではなかろうが、反ユダヤ人主義が全ヨーロッパを結びつける公分母となり得ると本気で信じているナツィたちには非常な驚きだった。これは途方もない誤りであり、この誤りはひどく高くついた。理論的にはそうではないかもしれないが実際上にはそれぞれの国に応じて反ユダヤ人主義者のあいだに大きな相違があることがたちまちあきらかになった。
 それ以上に困ったことはー実は容易に予想され得ることだったのだがードイツにおける<過激な>種類の反ユダヤ人主義を全面的に評価したのは、ナツィが(人間以下)の野蛮人の群とみなすことにしていたあの東方の民族ーウクライナ人、エストニア人、ラトヴィア人、リトゥアニア人、そしてロシア人の一部ーだけだったということだ。ユダヤ人に対する当然あるべき敵意をいちじるしく欠いていたのは、ナツィによればドイツ人の真の同胞であるスカンディナヴィア国民だった。・・・」






(つづく)