大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録(26)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



<バルカンからの移送>


「東欧ユダヤ人は味方からも敵からも他の民族と異なった一個の民族として認められていたのだ。
このことは東欧の同化しているユダヤ人の地位に重大な影響をおよぼし、何らかの形で同化しているのが普通とされている西方のユダヤ人の地位との決定的な相違を作った。西欧及び中欧の特徴をなす中産階級ユダヤ人の大きな集団は東には存在しなかった。
そのかわりにわれわれは、事実上支配階級に属する上層中産階級ユダヤ人家族の薄い層を見出す。
しかもこれらの家族の非ユダヤ人社会への同化ー金による、洗礼による、また通婚によるーの程度は、西側の大抵のユダヤ人のそれより比較にならないほど大きいのである。」


.ロアティア

「アンテ・パヴェリッチ博士を首班とするクロアティア政府(*ザグレブを首府とするユーゴスラヴィア内の傀儡国家)はその成立の三週間後にまことにいそいそとユダヤ人弾圧法を制定した。ドイツにいる数十人のクロアティア系ユダヤ人をどうすべきかと問われると、この政府は「東方への移送が望ましい」と言い送った。・・・・
アイヒマンはフランツ・アブロマイトSS大尉を派遣してザグレブ駐在ドイツ大使館の警察アタッシュと協力させた。
移送はクロアティア人自身の手で、特に、強力なファシスト運動であるウスタシの党員の手でおこなわれ、クロアティアは移送されるユダヤ人一人あたり三十マルクをナツィに支払った。そのかわりにクロアティア人は移送される者の全財産を受取ったのである。
これはドイツ側の公式の<属地主義>によるもので、ヨーロッパのすべての国に適用されるこの主義は、国家はその国境内に居住していたユダヤ人が殺された場合、当人の国籍に関係なくそのすべての財産を受取るものとしていた。
ナツィが何としてでもかならずこの<属地主義>を守るということはなかった。そうするだけの価値があるように見えるときにはうまくごまかす手はいくつもあった。ドイツの実業家はユダヤ人が移送される前に直接彼らから財産を買い取ることもできた。
また、ローゼンベルク特務班はもともと反ユダヤ研究所本部のためにすべてのヘブライおよびユダヤ文化財を押収する権限を与えられていたものだが、間もなくその活動範囲をひろげて高価な家具や美術工芸品をも扱うにいたった。
1942年2月までという最初の期限には仕事は終わらなかった。ユダヤ人はクロアティアからイタリア軍占領地域へ逃れることができたからである。しかしバドリオのクーデタの後、これもアイヒマンの部下であるヘルマン・クルーマイがザグレブに到着し、1943年の秋には五万人のユダヤ人が殺戮強制収容所へ移送されていた。
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自分から進んで財産を差出す金持のユダヤ人は免除されたのである。さらに一層興味ある事実は、SS諜報機関が、政府首班からウスタシ(*ファシスト運動)の首領までクロアティアの政権を握っている徒党のほとんどすべてのものがユダヤ人女性を妻としていることを発見したことである。
この地域にいたユダヤ人のうち生き残った千五百人ーユーゴスラヴィア政府の報告によれば全体の5%に当るーはすべてあきらかにこの高度に同化した非常に金持のユダヤ人グループに属するものであった。・・・・
東欧では同化というものがー同化が可能であった場合のことだがーヨーロッパの他のどこでよりも生き残る可能性を提供したと結論したくなる。」




▲札襯咼


「(*クロアティアに)隣接するセルビアでは事情はまったく異なっていた。そこではドイツ占領軍はほとんど第一日目から、ロシアにおいて戦線の背後でおこなわれていたそれとしか比較し得ないような一種のパルティザン活動を相手にしなければならなかったのである。・・・・

ここではユダヤ人の移送がおこなわれなかった以上アイヒマンの課は全然この地域には関与しなかった・・・。
<問題>は、現地で処理されたのだ。パルティザン戦で捕えた人質を処刑するという口実で軍はユダヤ人住民のすべての男性を銃殺した。女と子供は、・・・公安警察の長に引渡され、有毒ガス・トラックで殺された。
1942年8月、軍政部の民生部門の長である国務参事官ハラルト・トゥルナーは、「セルビアユダヤ人問題およびジプシー問題が解決された唯一の国」であると誇らしげに報告し、有蓋ガス・トラックをベルリンに返した。推定五千人のユダヤ人がパルティザンに加わったが、これが唯一の逃げ道だったのである。・・・」







(つづく)