大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録(35)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



「 イェルサレム裁判の異常性と変則性はまことに多種多様で、法律的に言ってもきわめて複雑なものであったので、裁判のあいだにも、また裁判後にあらわれた文献(それはあまりにもすくなかったが)においても、この裁判が必然的に提起した道徳的、政治的、それのみか法律的な中心的問題が覆い隠されてしまった。
イスラエル自身もベン=グリオン首相の開廷前の声明や検察官の報告の仕方によってますます混乱を深めた。これらはこの裁判がなしとげなければならぬとする数々の目的を列挙していたが、それらはすべて法律と裁判手続という点からすれば二次的な目的だったのである。
それらを見ればイスラエル国家がこの裁判をもって一連の政治的な附随目的を達成しようと意図していたことがわかる。裁判というものの目的は裁きをおこなうこと以外の何ものでもない。」



アイヒマン裁判に対する異議には三つの種類があった。
第一は、ニュールンベルク裁判に対して唱えられ、今またくりかえされているもので、アイヒマンは遡及的な法のもとに、しかも勝者の法廷によって裁かれるという異議だった。
第二はイェルサレム法廷のみに向けられた異議で、この法廷の裁判資格を問題にするか、もしくは拉致という事実をこの法廷が無視したことを問題にしていた。
そして最後の最も重大なものは、アイヒマンが<人道に対して>ではなく<ユダヤ人に対して>罪を犯したという起訴理由そのものに対する、従って彼がそれによって裁かれる法律に対する異議であり、この異議はこれらの罪を裁くにふさわしい法廷は国際法廷のみであるという論理的な結論にみちびいた。・・・・」



「ジェノサイドのようなそれまで知られていなかった罪が突然出現したときには、正義そのものが新しい法律による裁きを要求する。
ニュールンベルク裁判の場合にはこの新しい法律は憲章(1945年のロンドン協定)だったし、イスラエルの場合には1950年の法律である。
問題はこうした法律が遡及的であるかどうかではなくー勿論それは遡及的にならざるを得ないー、それが妥当であるか、つまりあらかじめ知られていなかった犯罪にのみ適用されるかということなのだ。遡及立法のこの必要条件は、ニュールンベルクに国際軍事裁判所を設けるため制定された憲章では甚だしく無視されていた。・・・・・・
憲章は次の三種類の犯罪についての裁判権を認めた。
「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、そして「人道に対する罪」。これらのうち最後の人道に対する罪のみが新しい前例のないものだった。・・・・・・」



「ニュールンベルク裁判における第一の難点は、ここでもまた≪tu quoque≫(*おまえも同類)の論理が通用することだった。すなわち、ハーグ協定に調印していなかったロシアは(ついでに言えばイタリアもこれを批准していなかったが)明白に捕虜虐待をおこなっており、最近の調査によればカティン森(ロシア領のスモレンスクのそばの)でその屍体の発見された一万五千のポーランド軍将校の殺害はロシア人の仕業とみられている。
もっと悪いことに非武装都市の絨毯爆撃、そして何よりも広島および長崎に対する原爆投下はあきらかにハーグ協定で言っている戦争犯罪を構成した。そしてドイツの諸都市に対する爆撃は敵によって、すなわちロンドンやコヴェントリやロッテルダムに対する爆撃によって誘発されたのだとしても、まったく新型の、しかも圧倒的な力を持った武器の使用については同じことは言えない。そういう武器が存在するということは、別のいろいろな方法で知らせ、証明することもできたのだから。
たしかに、連合軍によるハーグ協定の侵犯が一度も法律的に論じられなかったことの最も明白な理由は、国際軍事法廷が名ばかりの国際であるにすぎず、事実は勝利者の法廷だったということである。・・・・・
ニュールンベルク法廷が≪tu quoque≫(*おまえも同類)を適用されるように起訴事項についてドイツ人被告を有罪とすることにはすくなくとも非常に慎重だったと指摘しておかねば公正を欠くだろう。・・・・・」







(つづく)