大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録(36)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から




第二次世界大戦の終りには誰もが武器の技術的発展のため<犯罪的な>戦争技術の採用が不可避になったというのが事の真相なのである。
まさにハーグ協定による戦争犯罪の定義の基礎となっていた軍人と民間人、軍隊と住民、軍事目標と非武装都市の区別そのものが時代遅れになったのだ。従ってこの新しい条件のもとでは、何ら軍事的必要もないのにおこなわれ、意識的な残忍な意図がそこに証明されたもののみが戦争犯罪であると思われた。
 この理由のない残虐性というファクターは、場合々々に応じて何が戦争犯罪を構成するかを決定する有効な基準だった。しかしこれはまったく新しい罪、<人道に対する罪>には有効でなかったが、この新しい罪を模索的に定義しようとするうちに不幸にしてその定義のなかへ持ちこまれてしまったのである。ー
憲章は(第6条Ⅽで)この罪を<残虐行為>と定義しているーまるでこの罪もまた戦争遂行と勝利の追求のなかでの犯罪的行過ぎでしかないかのように。
けれども、連合国をしてチャーチルの口を通して「戦争犯罪者の処罰ということは主要な戦争目的の一つである」と言明せしめたものは、決してこの種のすでによく知られている犯罪ではなかった。反対にそれは、一民族全体の抹殺とか、一地方からその住民を一掃することとかの前代未聞の残虐行為、すなわち単に「いかなる軍事的必要の観念をもってしても認められない」犯罪ではなく、事実上戦争とは無関係な、そして平和時にもつづけられる組織的殺害政策を予告する犯罪がおこなわれているという報告だったのだ。事実この犯罪は国内法にも規定されていなかった。
その上これは≪tu quoque≫(*おまえも同類という意味)の論理が通用しない唯一の犯罪だった。
ところがニュールンベルクの判事たちをこれほど当惑させた罪はほかになかったし、判事たちがこれ以上まだるっこしい曖昧さを残して行(おこな)ったこともほかにないのである。」




アイヒマン裁判を正当化するために人々はしばしば、今度の大戦中の最大の罪はユダヤ人に対して犯されたものだったにもかかわらず、ユダヤ人はニュールンベルクでは傍観者でしかなかったと主張した。
そしてイェルサレム法廷は、今度こそはじめてユダヤ人の悲劇が「法廷審理の中心の位置を占めた」、そしてニュールンベルクその他で「以前おこなわれた裁判とイェルサレム裁判とを区別するものはまさにその事実だった」と主張した。しかし、これはせいぜいのところ真実の反面にすぎない。
連合国にまず第一に<人道に対する罪>という観念を抱かしめたのは、まさにユダヤ人の悲劇だった。なぜなら、ジューリヤス・ストーンが『国際紛争の法的規制』に書いているように、「たとい彼らがドイツ国籍のものだったとしても、ユダヤ人の大量殺害は人道の見地からしか扱い得なかった」からである。
そしてニュールンベルクの裁判がこの罪を充分裁き得なかった理由は、その被害者がユダヤ人だったことではない。戦争とはまったく関係なく、従ってそれをおこなうことは事実上戦争遂行に支障を来すほどだったこの罪を、他のいろいろの戦争犯罪と関連させて扱うことを憲章が要求していたからなのだ。
ニュールンベルクの判事たちがユダヤ人に対してなされた暴行をいかに深刻に感じていたかはおそらく、<人道に対する罪>の訴因だけで死刑を宣告された唯一の被告は反ユダヤ的猥褻行為にもっぱら従事していたユーリウス・シュトライヒャーだったという事実によって最もよく推測し得るだろう。この場合判事たちは他のすべてのことを度外視していたのだ。 
 イェルサレムの裁判がそれ以前におこなわれた裁判と異なるところは、ユダヤ民族が今度は中心的位置を占めているということではなかった。
それどころかこの点に関しては、ポーランドやハンガリア、ユーゴスラヴィアギリシャソ連やフランス、要するに以前ドイツに占領されていたすべての国で戦後おこなわれた裁判とこの裁判は似ているのである。
ニュールンベルクの国際軍事法廷は地域的に限定されない罪を犯した戦争犯罪人のために設けられた。他のすべての戦犯は彼らが罪を犯した国に引渡された。<主要戦争犯罪人>のみが地域的な限定なしに行動したのだが、勿論アイヒマンはその仲間ではなかった。
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アイヒマンの活動がヨーロッパの全占領地にひろがったのは、地域的限定が彼に適用されないほど彼が偉かったからではなく、彼とその部下がヨーロッパ大陸を歩きまわらねばならないのはすべてのユダヤ人を集め移送するというその任務の成果によるものだったのである。
ユダヤ人の地域的分散があったからこそ、彼らに対してなされた罪は、ニュールンベルク憲章の限定された法的な意味においての<国際的>問題となったのだ。すなわち、イスラエルの国家を持った以上は、ポーランド人がポーランドで犯された罪を裁くのと同じく彼らもあきらかに自分たちの民族に対して犯された罪を裁く権利を有した。・・・・・・・

ユダヤ人が当時の彼らの国籍とは関係なく単にユダヤ人だというだけの理由で殺されたことにはいささかの疑いもないし、またナツィに殺されたユダヤ人のなかには自分の人種的帰属を否定することを選び、おそらくフランス人もしくはドイツ人として殺されるほうがよいとしたものがかなりいるけれども、犯罪者の意図および目的を考慮に入れればこうした場合についても裁きをおこなうことは可能であった。・・・・・」



「・・・自分の立場を消極的属人主義によって主張しようとする検察側の試みよりももっと正当性を欠くのは、普遍的裁判権の名において自己の権限を主張しようとする判事団の傾向だった。
なぜならそれは、この裁判の運び方ともアイヒマンがそれによって裁かれる法律ともあきらかに矛盾するからである。
普遍的裁判権の原則が適用され得るのは、人道に対する罪は昔の海賊行為の罪と似ており、この罪を犯した者は旧来の国際法上の
hostis humani generis(*「人類共通の敵」の意)になるからだと言われた。

アイヒマンはしかし主としてユダヤ民族に対する罪を問われていたのであり、また普遍的裁判権の理論によって許されるものとされるはずだった彼の不法逮捕についても、その理由はたしかに彼が人類に対する罪を犯したことではなく、ユダヤ人問題の最終的解決において彼が演じた役割だったのだ。」







(つづく)