大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録(41)

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映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



ユダヤ人指導者たちの役割が裁判で問題なった以上、そして私もそれについて報告し論評した以上、この問題も俎上に上せられることは不可避だった。

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最高法廷の判事団は一致してユダヤ人評議会一般を間接的に免罪したのである。これでわかるように、ユダヤ人社会のエスタブリッシュメントはこの問題について分裂しているのだ。
論争(*ハンナ・アーレントアイヒマンイェルサレム裁判の評価に関する論争)においてはしかし、最も声を大にして騒ぎ立てる連中は、ユダヤ民族をその指導者たちと同一視するーこれは「全体としてのユダヤ民族の行動はすばらしかった、指導者たちだけが悪かった」というテレージェンシュッタトの収容者の一人の言葉に要約され得るすべての生き残りの人々の報告と著しい対照となすーか、もしくはユダヤ人社会の役員を弁護する人々だった。
しかもこの人々は、ユダヤ人の移住に協力することとナツィがユダヤ人を移送するのに協力することとのあいだにまったく相違がないかのように、この役員たちが戦前、とりわけ最終的解決(*ユダヤ人の絶滅)のおこなわれる時代以前におこなった賞賛すべき功労をすべてならべたてて彼らを弁護したのである。

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 感情をむきだしにした議論の際によくあるように、事実にのみ気を取られて昂奮し、それ故事実を歪めることも敢てしようとする或る集団の現実的な利害は、それと反対に事実にはいささかの興味も持たず、事実を単に<観念>へのスプリングボード(*踏み台、契機)とみなす知識人の奔放なインスピレイションとたちまちぶつかって、始末に負えない乱闘が生ずる。

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この本(*『イェルサレムアイヒマン』)はユダヤ民族を襲った最大の破局の歴史を扱うものでもなければ、全体主義についての報告もしくは第三帝国時代におけるドイツ民族の歴史でもなく、まして悪というものの性質に関する理論的論文でもない。
すべての裁判の焦点は被告(*アイヒマン)という人間、彼自身の歴史を持ち、さまざまの性質、特殊性、行動の型、環境のその人間にだけしか見られない配合を持った生身の人間なのである。」



「さらに私は本書の副題(*「悪の陳腐さについての報告」)について、それこそ本物の論争が起ってもよかったと思う。
私が悪の陳腐さについて語るのはもっぱら厳密な事実の面において、裁判中誰も目をそむけることのできなかった或る不思議な事実に触れているときである。
アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった。しかも<悪人になってみせよう>というリチャード三世の決心ほど彼に無縁なものはなかったろう。
自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。勿論彼は自分がその後釜になるために上役を暗殺することなどは決してしなかったろう。
俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。まさにこの想像力の欠如のために、彼は数か月にわたって警察で訊問に当るドイツ系ユダヤ人と向き合って座り、自分の心の丈(たけ)を打ち明け、自分がSS中佐の階級までしか昇進しなかった理由や出世しなかったのは自分のせいではないということをくりかえしくりかえし説明することができたのである。
大体において彼は何が問題なのかをよく心得ており、法廷での最終陳述において、「ナツィ政府の命じた価値転換」について語っている。
彼は愚かではなかった。完全な無思想性ーこれは愚かさとは決し
て同じではないー、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。このことが<陳腐>であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的な底知れなさを引出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。
死に直面した人間が、しかも絞首台の下で、これまでいつも葬式の際に聞いて来た言葉のほか何も考えられず、しかもその<高貴な言葉>に心を奪われて自分の死という現実をすっかり忘れてしまうなどというようなことは、何としてもそうざらにあることではない。
このような現実離反と無思想性は、人間のうちに恐らくは潜んでいる悪の本能のすべてを挙げてかかったよりも猛威を逞(たくま)しくすることがあるということーこれが事実イェルサレム(裁判)において学び得た教訓であった。しかしこれは一つの教訓であって、この稀有な現象の解明でもそれに関する理論でもなかったのである。」







(もう少しつづく)


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