大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ハンナ・アーレント語録2-(3)

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全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房)から




「今でははっきりしたのは、この体制は決して、「一枚岩的」ではなく、「諸機能を意図的に輻輳させ、重複させ、並置させた構造」を持っていること、このグロテスクなまでに無定形な構造はナツィ・ドイツに見られるのと同じ指導者意識ーいわゆる「個人崇拝」ーによって維持されていること、この特殊な統治の執行部門は党ではなく警察であって、警察の「作戦行動は党機関の規制を受けていなかった」こと、この体制が幾百万となく殺した全く無実の人々、ボルシェヴィキーの用語では、「客観的な敵」と呼ばれた人々は、自分たちが「犯罪なき犯罪者」であると知っていたこと、初めの頃の体制の敵ー政府要人の暗殺者、放火犯、盗賊などーとは区別されるこの新しいカテゴリーこそ、ナツィのテロルの犠牲者が示した行動のパターンからよく知られているのと同じ「完全な受動性」を示した人々であること、などである。

大粛清の間の「相互の密告の洪水」が、国の経済的、社会的繁栄にきわめて大きな災厄をもたらしたと同じ程度に、全体主義の支配者の強大化にとってはきわめて効果のあるものだったことは、以前から疑い余地のないことだったが、ただわれわれに今になってようやくはっきり分かったのは、スターリンがどれほどの周到さをもってこの「密告の不吉な連鎖を働かせる」ように仕向けたかということである。
彼は1936年7月29日に公式にこう宣言したー
「現在の条件のもとではすべてのボルシェヴィキーにとっての奪うべからざる資質とはすなわち、いかによく擬装している敵であろうと、党の敵を認識することのできる能力でなければならない。」
なぜなら、ヒットラーの「最終的解決」が実際に意味していたのは「汝殺すべし」との掟をナツィ党のエリットの義務とすることだったのと全く同様に、スターリンの言明は「汝偽証すべし」をボルシェヴィキーの全党員の行動準則にせよと命じているからである。・・・」




「・・・軍に対する秘密警察の優位は多くの専制の品質証明であって、何も全体主義専制だけのものではない。
しかしながら全体主義的統治の場合には、警察の優位は単に国内の住民を抑圧する必要に応ずるものであるばかりでなく、地球支配というイデオロギーの要求に適合するものでもある。
なぜなら、全地球を己の将来の領土と看做す者は、自国内の暴力の機関に力点を置き、そして占領した領土を支配するに軍を用いるよりはむしろ警察的方法と警察の人間を使おうとするのは明白だからである。
だからこそ、ナツィは、本質的には警察力であるSS諸部隊を外国領土の支配のために、またその征服のためにさえ使ったのであり、その際、軍と警察をSSの指導権のもとに統合することを究極の目標としたのである。」







(つづく)

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