大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ハンナ・アーレント語録2-(4)

・・・・・



全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房




「・・・ソ連における発展、特に1948年―ジダーノフ(*ソ連の政治家でスターリン体制の一翼を担ったが、1948年8月モスクワで急死)の謎に包まれた死と「レニングラード事件」(*レニングラード支部の外に反ソビエト組織を創る「意図」を持ち、「反逆」を行ったとして、ソ連共産党の有名なメンバーの多くを告発するために偽造された事件)の年ー後の発展は、さらに重要である。
大粛清後でははじめてスターリンは多数の高官を処刑させており、われわれの知るところではこれは確かに新たな全国的規模の粛清の開始として計画されたものだった。
スターリンの死がなかったら、この粛清は「医師団陰謀」(*国内の著名なユダヤ人医師たちの一部が告訴・逮捕された)をきっかけに開始されただろう。ほとんどユダヤ人からなる一団の医師が、「ソ連の指導的幹部を一掃する」ことを企んだとして告訴されていたのである。
1948年から、「医師団陰謀」が「発見された」1953年1月までの間にロシアで進んでいたことすべては、(19)30年代の大粛清の準備としてなされたことと著しい不吉な類似を示している。
ジダーノフの死とレニングラード粛清は、1934年のキーロフの同じく謎に包まれた死と、それに続いて起った「党内に残っているかつての反対派の全員」の一種の準備的粛清とに相応する。そのうえ、医師たちが国中の指導的地位にある者すべてを殺そうとしたなどという途方もない告訴の内容は、架空の敵に罪を帰すスターリンの手口を知る者に恐ろしい予感を抱かせたに違いないースターリンは自分自身で企てた犯罪をいつも架空の敵に転嫁して告訴していた。・・・・・」



「 スターリンが生涯の終りに計画したこの最後の粛清の最も劇的で新しい要素は、イデオロギーにおける或る決定的な変化、すなわちユダヤ人世界陰謀説を持ち出したことである。

数年にわたりこの変化の下地は衛星諸国における数々の裁判で周到にととのえられていたーハンガリアのライク裁判、ルーマニアでのアナ・パウケル事件、そして1952年の、チェコスロヴァキアでのスランスキー裁判などである。
これらの予備的措置では、「ユダヤブルジョワ」の出身であることを理由に選び出された党の高官がシオニストであるとして告訴されている。この告訴理由はその後、周知のように非シオニストの機関(特にアメリカ・ユダヤ人合同分配委員会)を暗に指すようなものに少しずつ変えられたが、それはすべてのユダヤ人はシオニストであり、すべてのシオニスト・グループは「アメリカ帝国主義の雇人」であることを示すためだった。
もちろん、シオニズムを「犯罪」に仕立てたのは別に目新しいことではない。しかしキャンペインが進みソ連内のユダヤ人に的が絞られるようになってくると、もう一つの別の重大な変化が現れた。

今やユダヤ人はシオニズムの故というより、「コスモポリタニズム」の故に告発されるようになり、このスローガンから発展した告発のパターンは、「シオンの賢者」(*の議定書)のフィクションに示されたユダヤ人世界陰謀のナツィ的パターンにますます近くなったのである。
ナツィ・イデオロギーのこの大黒柱がスターリンにどれほど深い印象を与えていたかーこれを示す最初の数々の徴候はヒットラースターリン条約(*1939年のソ不可侵条約)以来はっきり見えてはいたのだがー今や驚くほど明白になった。
確かにその理由の一つは、それがプロパガンダとして明らかに価値を持っていたことである。ロシアでもどの衛星国でも反ユダヤ感情は一般に強く、反ユダヤ主義プロパガンダはつねに非常な人気を博してきたからである。
だがまた一つには、このタイプの世界陰謀のフィクションは、イデオロギー的に見ればウオール街だの資本主義だの帝国主義だのの陰謀説に比べて、世界支配をめざす全体主義の要求にとってはるかに好都合な背景を用意してくれたからである。
全世界にとってナツィズムの最も著しい特徴となっていたものを公然と破廉恥にも採り上げたことは、全体主義における今は亡き同僚にしてライバルたりし人間にスターリンが捧げた最後の敬意だったー彼はこの男とは残念ながら永続的な一致を見ることができなかったのだが。」






(つづく)


・・