大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ハンナ・アーレント語録2-(6)

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全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房




「 しかし全体主義の指導者は単なるデマゴークではないし、彼らの成功がわれわれの不安をかきたてる理由は、彼らがモッブ的本能に訴えるという点にあるのではない。現代の大衆をモッブから区別しているのは彼らの没我性と自分の幸福への無関心とであって、これは現代の全体主義的な大衆組織においてきわめて顕著に示されている。
全体主義運動の参加者たちが外部の者や敵対者に加えられた犯罪に動揺を感じないのは、モッブのメンタリティーを考えればいかにも自明のことである。だが決して自明だと言えないのは、犯罪の被害者が自分たちの運動のメンバーであってもやはり同じ犯罪賛美、あるいは少なくとも同じ冷淡さを示すこと、そしてついには、共産党の歴史に無数の例があるとおり、自分自身が犠牲者になった場合でも運動の信奉者は確信が揺るがされはしないことである。
全文明世界がモスクヴァ裁判(*モスクワ裁判:スターリン時代のソ連政府がモスクワで行った反革命分子に対する「公開裁判」)にあれほどの衝撃を受け混乱させられたのは、犠牲者が検察側のよき協力者として現れ、「自白」の中で検事のでっちあげをさらに上塗りしていたからにほかならない。
運動に加わったとき以来彼らの全生活を律してきた党規律は、あらゆる試練にうちかったのである。それは自己保存の本能よりも、あるいはー彼らがどっちみち死刑になることを考えればー自分個人の名誉と潔白を守ろうという願いよりもはるかに強力であることを実証した。
彼らすべてがその前に屈した論議はこうだった。
「君が主張するようにもし本当にソヴェート政府を支持しているのなら、君が今それを証明できる唯一の方法は政府の要求どおりの自白をすることなのだ。なぜなら政府には今の時点ではそのような自白が必要なのだから。」
換言すれば、彼らは被告席にあってもなお党の幹部であり続け、それまで党のあらゆる職務を果してきたときと全く同じ熱意をもって、今度は自分の肉体的な、それと同時に道徳的な死の宣告のための証拠資料をかき集めようとしたのだった。」




ヒットラーは、開戦までの被支配人口数が彼の支配に或る程度の抑制を余儀なくさせていることをよく自覚していた。-このような抑制は彼の運動の本来の傾向と長期にわたっては一致させ得ないものだった。
ドイツは戦争に勝ってはじめて完全に発達した全体的支配の機構を経験する筈だったのだが、それが単に「劣等人種」ばかりでなくドイツ人自身にもどれほどの犠牲を強いることになるかについては、われわれはヒットラーの遺した諸計画から推測することができる。
いずれにせよドイツがその支配機構を実際に全体主義化し得たのは戦争を始めてからのことであり、東部の征服によって絶滅収容所が可能となり甚大な数の人口を意のままにできるようになった後のことだった。・・・・」




全体主義運動は、いかなる理由からであれ政治的組織を要求する大衆が存在するところならばどこでも可能である。
大衆は共通の利害で結ばれていないし、特定の達成可能な有限の目標を設定する個別的な階級意識を全く持たない。
「大衆」という表現は、人数が多すぎるか公的問題に無関心すぎるかのために、人々がともに経験しともに管理する世界に対する共通の利害を基盤とする組織、すなわち政党、利益団体、地域の自治組織、労働組合、職能団体などに自らを構成することをしない人々の集団であればどんな集団にも当てはまるし、またそのような集団についてのみ当てはまる。・・・・

いずれにせよ全体的支配の機構のもつ政治的構造にとっては、大衆の組織化を人種の名において行おうと階級の名において行おうと、生命の法則・自然法則の力を借りようと唯物弁証法的な歴史法則を担ぎ出そうと、実際的にはそれほど重大な違いはないのである。」




「ヨーロッパの大衆は、すでにアトム化していた社会の解体によって成立した。
この社会においては、個人間の競争とそこから生ずる孤立感の問題を一定の限度内に抑えていたものは、各個人は生れると同時に一つの階級に属し、成功や失敗と関わりなくその階級を故郷として終生そこに留まるという仕組みだった。
大衆社会の中の個人の主たる特徴は残酷さでも愚かさでも無教養でもなく、他人との繋がりの喪失と根無し草的性格である。

人々がかつての出身階級における経験を拠り所に新しい生活を築き得る程度に、国民国家の階級社会に記憶を通じて強く結びつけられていた間は、彼らはファナティシズムジョーヴィニズムの色の特別に濃いナショナリズムに迷いこんだ。まさにナショナリズムこそ、あらゆる階級対立を超えて国民を統一する接着剤だったからである。
しかしまさにこの点において彼らは時代遅れだった。そのことを全体主義運動の指導者は非常によく知っていたから、このナショナリスティックな「旧弊」を考慮に入れて初めのうちは重要な妥協をしたのである。・・・・・・


重要なのは現代の大衆がそれ以前の大衆社会と本質的に異なる点、すなわち、共同の世界が完全に瓦解して相互にばらばらになった個人から成る大衆だという点である。
現代の大衆社会に特有な個人化とアトム化が全体主義的な支配の成立にとっていかに必要不可欠かを明らかにするには、ナツィズムとボルシェヴィズムを比較するのが最上の方法だろう。
この二つは歴史的にも社会的にもこれ以上の相違は考えられないほど異なった条件のもとで成立していながら、結局はその支配形式ならびに諸制度はともに驚くべき類似性を示すに至っている。
すなわちスターリンヒットラーの場合と違って、彼の支配の初めに当り、解体した社会という彼の運動にいわばお誂え向きの条件に恵まれていなかった。そのため彼は」、レーニンが遺した革命的一党独裁全体主義的な支配体制につくり変えるために、まずこの条件を人為的な手段で創り出さねばならなかったのである。・・・・・・・・」






(つづく)

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