大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録2-(7)

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全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房




ヒットラーが崩壊しアトム化しつつある社会の中にまず一つの運動を起すことによって全体的支配を準備したように、スターリンはまずそのような崩壊しアトム化した大衆をつくり出すことによって全体主義的な独裁を準備した。
スターリンがこのためにとった方法は、インターナショナリズムの名において新しい少数民族を、階級なき社会の名においてソ連の新しい諸階級を絶滅したことだった。
彼はまず、各民族の代表機関として機能していたソヴェートがまだ僅かながら持っていた権力と威信を清算することから始めた。というのは、たとえ無力な代表機関となってはいても、ソヴェートは党ヒエラルヒーの全能を或る程度制限する役割を果たしていたからである。この清算で注目すべき点は、スターリンがソヴェートをあっさり廃止することはせず、党細胞をその中に作らせて(中央委員会に送られる上級幹部がそこからだけ指名されるように仕向け)、こうして内部から掘り崩されて実際には党そのものの表看板でしかなくなったこの機関を最後まで残しておいたことである。
僅かの年月のうちに、地域あるいはその他の自治組織の最後の痕跡もすべて消え去り、1930年にはロシアは帝政時代と同様、モスクヴァの党機構のもとに完全に中央集権化されていた。
また帝国のロシア化、少数民族の抑圧についても、今度の専制支配は文盲を一掃したという点で、僅かにツァーリ支配と異なるに過ぎなかった。それというのも、文盲はプロパガンダイデオロギー教化に対する非常に自然な、きわめて有効な防壁であることが分かったからである。




「 少数民族清算とソヴェートの破壊に続いたのは階級の清算だった。
最初は当然のことながら地方および都市の有産階級が狙われ、まず中産階級、次いで農民がやられた。中産階級を片付けるのは簡単だった。ようやく発展の緒についたばかりの階級だったからである。
しかし農民は少なくとも潜在的にはソ連で最も強大な階級だった。なぜならそれは数の上でも最大であり、革命によって非常に豊かになっていたからである。そのため農民階級の清算は戦争よりも革命よりも内戦よりも血腥(なまぐさ)ものとなり、まことにロシア史の最も生凄惨な章をなすことになった。
いわゆるクラーク(*富裕な自営農家)の財産没収(しかもクラークは20年代末にはロシア農民の多数を占めていた)と農業集団化は、人為的につくられた食糧危機と大量追放との助けをかりて遂行された。このため、たった一年の間にウクライナだけでも、追放された人の数を含めないでもなんと八百万の人間の生命が失われたのである。
30年代のはじめには農民階級と中産階級は「死滅」し、死者にも追放者にもならずに済んだ者は、国家権力に対抗し得るいかなる集団的連帯もいかなる手段も存在しないことを学んだのだった。自分の家族の生命も自分自身の運命も、市民としての仲間たちとは何らの関係も持たず、一人一人が絶対的な孤立無援の状態に置かれ、いかなるときにも権力の意のままに追い込まれた絶望した個人の群れの中では、誰が党の手先か分からないため、すべての人間は相互に不信の目を向け合い、この人々が再び集団としての意識を築き上げるまでには一世代以上もの時を必要としたのだった。・・・」







(つづく)



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