大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

バザーリア語録(2)

・・・・


イタリアの精神保健改革の中心人物、
フランコ・バザーリアの言葉

『プシコ・ナウティカ イタリア精神医療の人類学』
 (松嶋健 著 世界思想社 2014年7月発行)から

<参考>
映画「むかしMattoの町があった」
http://180matto.jp/

主人公
精神科医フランコ・バザーリア(1924-1980)の年表
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611/folder/1497099.html



「ゴリツィアに精神病院の院長として行った時、私の背にはすでに、助手としての13年間の「施設=制度」の経験があったのだ。そこで、「施設=制度」の論理についてたくさんのことを学んだ。
つまり、この論理がいかにして一人の人間を破壊し、「大学症候群」を病ませることになりうるのか、について直接体験したのだ。(中略)
あるとき、もう耐えられなくなって、精神病院の採用選考に応募することにした。国境にある周縁の病院だった。」



「初めて監獄に入ったのは、医学部の学生のときで政治犯としてだった。つまり囚人の側として入ったわけだ。ちょうど独房の便器(獄舎で便器として使う桶)を空にしているところだった。
私の第一印象は、巨大な解剖室に入ったというもので、というのはそこには死の姿と臭いがあったからだ。監獄は私にとって、地獄の悪臭に満ちた肥溜めであり、背中にゴミ箱を背負った人間たちが、代わる代わる下水道の中身をさらう場所だった。(中略)
看守と囚人は、双方とも人間としての資格を失い、施設の型としるしを身につけていた。
 何年もの後、別の閉ざされた施設に私は入った。精神病院である。今回は被収容者としてではなく、院長としてだ。だから看守の側だった。
しかし私が見た現実は何ら変わりのないものであった。ここでも人は、人間としての尊厳をすべて失っていた。精神病院もまた、巨大な肥溜めだったのだ。」(1971)



「精神病院では、大部屋に大勢の患者が押し込められていて、そこから誰も出ることはできず、便所に行くことさえできない。どうしても必要な場合には、部屋の中で監視している看護師がベルを鳴らすと、別の看護師がやって来て、その患者に付き添って連れ出すことになる。ただこの儀式にはとても時間がかかるので、多くの患者がその場で用を足すことになってしまう。
非人間的な規則に対する患者のこの生理的反応は、治療スタッフに対する「嫌がらせ」と解釈されるか、もしくは、完全に疾患による病者の自制力のなさの表われと見なされる。
 精神病院では、同じベッドに二人が身動きもしないまま横たわっている。スペースが不足しているため、一つのベッドに二人ずつを方付けようとして、緊張病患者は互いに迷惑をかけないという事実が活用される。」(1968)




「病者が縛りつけられているような伝統的な病院で、何らかの精神医療をやるように勧めてみるなんてことは私には絶対できません。
治療する者とされる者との関係が隷属的で、檻の中にあるような状態で、生物学的であれ心理学的であれ、いかなる種類のどんな治療をしようが、効果があるとは思えません。
医者と病者のあいだに自由なコミュニケーションがないところで、どのようなケアが効を奏する可能性をもちうるでしょうか?」
(インタビュー)






(つづく)

・・・