大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ハンナ・アーレント語録2-(10)

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全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房




全体主義運動は、言論の自由と立憲的統治という正常な条件のもとで発展する限り、他の諸政党が相手としているのと全く同じ聴衆、すなわち、情報源がまだ制限されていず、暴力で嚇(おど)かすこともごく限られた程度にしかできない聴衆に訴えることになる。
 プロパガンダとテロルは同じメダルの表裏のように相互に補完し合うものだということが、全体主義体制の批判者の側からも支持者の側からも主張されてきたが、これはしかし限られた意味でしか正しいとは言えない。全体主義運動は政権を握るとそれまでのプロパガンダに代えて教義の実現にとりかかるのがつねであるし、そのテロルは間もなく(つまり組織された反対勢力がいる初期段階が克服されるや否や)プロパガンダで説得できなかった反対者に向けられるというよりは、むしろ無差別に誰にでも向けられるようになる。
 全体主義的独裁は足場を固めてしまうや否や、イデオロギー教義とそこから生れた実際上の嘘を本物の現実に変えるためにテロルを使う。テロルは特殊全体主義的な統治形式となるのである。」




「 プロパガンダは確かに「心理戦争」の不可欠の要素である。しかしテロルはそれ以上のものであって、全体主義政権の心理的目標がとうに達成された後であっても、テロルは依然として基本的に全体主義政権の支配形式である。
 真の恐ろしさが始まるのは、完全に服従した住民をテロルが支配するときなのだ。強制収容所のようにテロルが完成の域に達したところでは必ずプロパガンダはすっかり姿を消す。強制収容所ではプロパガンダははっきりと禁止されてさえいた。
 言い換えれば、プロパガンダは外部世界との交渉の一手段でしかないー恐らくは最も重要な手段ではあろうが。これに対してテロルは全体的支配の本質そのもである。それは丁度、立憲統治の行われている国では法を犯す者のあるなしに関わらず法が支配するのと同じである。」




「非全体主義的な世界や、全体主義的教義の攻撃をまだ受けていない世界にとっては、運動に見られる具体的な有用性への完全な蔑視や、大衆が示す自分自身への利害への著しい無関心は、非常に理解し難いと映った。
 例えば、戦争開始時にヒットラーが精神病患者の殺害を命令したのは口減らしのためだろうと連合国は考えたが、これは全然当たっていなかった。
アーレント注>これをよく示しているのは、ヒットラー安楽死計画を命ぜられた医師の一人であるカール・ブラントの証言である。ブラントは穀つぶしを切り捨てるためにこの計画が立てられたという嫌疑に対して激しく抗議し、この問題の討議にそのような根拠を持ち出した党員は必ずきびしい非難を受けたと強調した。彼の意見によれば、この措置はもっぱら倫理的理由によってとられたというのである。-同じことは勿論、移送についても言える。何百万ものユダヤ人とポーランド人の移送は「軍事的および経済的必要」をまるで無視したものだと訴える絶望的な軍人の覚え書が、いくつものファイルを満たしている。
 
 ヒットラーは戦争のために倫理的考慮を捨てざるを得なくなったのではなく、彼のあらゆる計画項目と同じく幾千年もの展望のもとに企てられていた殺人計画を開始するには、戦争という大量殺戮こそこの上ないチャンスだと考えたのである。
アーレント注>全大量殺戮にとって決定的な意味を持っている政令は、ヒットラーによって戦争開始の日、1939年9月1日に署名されており、この政令はしばしば誤って解されているように精神病患者だけを対象にしているのではなく、すべての「不治の病人」を対象にしていた。精神病患者はその手始めだったに過ぎない。

幾世紀のもの間、いや本来はヨーロッパの歴史全体を通じて、あらゆる政治的行為に対してそれが<何の役に立つのか>と問い、あらゆる政治的出来事をその根底に潜む利益によって判断すべきことを学んできた人々は、今や突如としてこれまでになかった予測不可能性の要素に直面させられたのである。」




「 指導者の無謬性が大衆にに与えた絶大な効果と、彼は歴史もしくは自然の予言可能な力の注釈者に過ぎないというこのポーズがもたらしためざましい成功は、非全体主義世界には容易に理解できない政治的発言の一つの新しい型を生み出したのである。その最も有名な例は、1939年1月30日にヒットラーが「大ドイツの最初の帝国議会」で行なったあの告知である。彼はこう「予言」した。
ー「国際的ユダヤ人財閥が・・・・・・・諸民族を再び世界戦争に突き落とすことに成功したりすれば、・・・・・その結果・・ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅となる」であろう。
全体主義の言葉に翻訳すれば、ヒットラーははっきりこう言ったのであるー自分は戦争を始めるつもりであり、ヨーロッパのユダヤ人を根絶するつもりである、と。」





全体主義運動がまだプロパガンダを必要としている間は、運動は、もはや人間的な住家を提供し得なくなった世界の脆さを餌に生きている。そしてそれは人々に向かって、一切を支配する秘められた永遠なる力に自己を捧げよ、その流れに身を委ねた者はおのずと新しい安全な岸辺へ運ばれて行くだろう、と誘いかける。」








(つづく)


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