ハンナ・アーレント語録 2-(15)
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『全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房)
「 全体的支配機構を史上に知られている多くの国家機構のどれかと比較すると、結局この支配機構の特徴としては無構造性しかないことになる。
この場合人々が忘れているのは、構造を持つのは建築物だけであって、運動という言葉をナツィのように字義どおりに解するならば、運動には方向しかないということ、そして法律的もしくは国家的な構造などはすべて、ますます速度をはやめながら、一定の方向へ運動にとっては障碍でしかないということである。
すでに政権掌握以前から全体主義の運動は、どのような性質のものであれ国家という建築物のなかで生きようという気持を失った大衆、法律的なものであれ地理的なものであれ国家によって保障された境界から溢れ出ようとして運動をはじめた大衆を代表する。
だから、われわれが国家や国家構造について抱いている概念によって判断すれば、運動は具体的に一定の領土に限定されているかぎり無構造性というものを生み出さざるを得ない。」
「ナツィ・ドイツで一番はじめにおこなわれた党と国家の二重化にロシアで対応するものは、秘密警察の真の権力に対する党官僚層の見かけの権力である。
そして増殖はまず、この秘密警察自体が極度に複雑なスパイ網に分岐し、そしてその網のなかで一つの部はいつも他の部を監視しスパイする任務を持つというとことからはじまった。・・・
権力は常に公然性がなくなるところからはじまるのである。この点からすれば、ナツィの支配機構とボルシェヴィキーのそれは二つの卵のように似ている。両者の相違は技術的なものでしかない。
両者の相違は主として、一方における秘密警察機関のヒムラーによる独占および集中と、他方におけるロシア警察の一見不統一で無連絡な活動の紛糾という点にある。
他方また、支配の組織のこの奇妙な方式が権力獲得以前の全体主義運動の組織原理と完全に対応することもあきらかである。
この支配機構を本当に権力機関とのみ見て、行政的、工業的、経済的能力の問題すべてを度外視するならば、その<無構造性>がナツィのいわゆる指導者原理なるものを実現するのにすばらしく適していることがあきらかになる。
単にその機能が重複し合うばかりか同一の任務を与えられている各機関の競争は、支配者への反対やサボタージュをほとんど不可能にする。」
「機関の増殖と政治体の無構造性は責任意識と専門的知識をすべて無効にしてしまう。それは、いろいろな機構の途方もない増加それ自体が大きな経済的負担と生産性の低下を結果するということではなく、常に相反する命令が出され、最高指導者自身の干渉をまたなければそれが解決され得ないということなのである。
・・・・この自縄自縛は特に戦時中の東部地域で甚だしかった。東部地域では誰が何を命令すべきなのかもう誰にも全然わからなかったからである。
この渾沌のなかにやっと秩序が立てられたのは、遂にSS(親衛隊)が国防軍および占領軍の最高権威をもあきらかに凌ぐ優位を占め、ヒットラーがよく言っていたようにすべてを「冷静に絶滅し」はじめてからなのだ。
「いかなる任務もそれ自身のために存在するのではない」というSSのモットーが殺人とありとあらゆる種類の狂信を促すのに恰好なものだったことは明白である。
しかしそれと同時にまたこのモットーは、特定の仕事や任務への純粋の関心をすべて失わせ、行為というものはすべてその行為とはまったく異なる何事かのための手段としかみなされないという理由からだけでも持続的なものが何一つ作り出せないようなメンタリティを生み出す。換言すれば、殺人者にむかって殺人ということではなく人種のことを考え、現在おこなわれている行為ではなく千年帝国のことを考えねばならないと説き聞かせることは、非常に有益であり合目的だということだろう。」
「 徹底化はまさに開戦と同時にはじまった。それどころか、ヒットラーがこの戦争をおっぱじめたのはまさに、戦争のおかげでこの過程を平時にはまず考えられないほどの速度で促進することができたからだと考えねばならない。
しかしこの過程について注目すべきことは、スターリングラードの手前での敗北のような手痛い敗北によってすらそれ(*ユダヤ人の絶滅など)が全然抑止されず、全面的敗戦の危険すら次のような結果しか生まなかったということだ。
すなわち、一切の合目的な考慮はしりぞけられ、全体的組織の力をもって遮二無二全体主義の人種イデオロギーの目的をごく短期間であれ実現することにすべてを賭けるということである。
スターリングラードの後では、それまでなるべく一般住民から隔離されていたSS幹部は甚しく増員された。国防軍所属者の入党禁止は解かれ、いたるところで軍隊は事実上SS指揮官の隷下に置かれた。SSが後生大事に守っていた虐殺の独占権すらも破られ、国防軍軍人たちもますます大量虐殺に関与させられた。軍事的考慮も経済的考慮も政治的考慮も、大量移住および<大量淘汰>という戦争遂行にとってはあらゆる点で不利な金のかかるプログラムを実行する段になるとまったく問題にされなかったのである。」
(つづく)
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『全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房)
「 全体的支配機構を史上に知られている多くの国家機構のどれかと比較すると、結局この支配機構の特徴としては無構造性しかないことになる。
この場合人々が忘れているのは、構造を持つのは建築物だけであって、運動という言葉をナツィのように字義どおりに解するならば、運動には方向しかないということ、そして法律的もしくは国家的な構造などはすべて、ますます速度をはやめながら、一定の方向へ運動にとっては障碍でしかないということである。
すでに政権掌握以前から全体主義の運動は、どのような性質のものであれ国家という建築物のなかで生きようという気持を失った大衆、法律的なものであれ地理的なものであれ国家によって保障された境界から溢れ出ようとして運動をはじめた大衆を代表する。
だから、われわれが国家や国家構造について抱いている概念によって判断すれば、運動は具体的に一定の領土に限定されているかぎり無構造性というものを生み出さざるを得ない。」
「ナツィ・ドイツで一番はじめにおこなわれた党と国家の二重化にロシアで対応するものは、秘密警察の真の権力に対する党官僚層の見かけの権力である。
そして増殖はまず、この秘密警察自体が極度に複雑なスパイ網に分岐し、そしてその網のなかで一つの部はいつも他の部を監視しスパイする任務を持つというとことからはじまった。・・・
権力は常に公然性がなくなるところからはじまるのである。この点からすれば、ナツィの支配機構とボルシェヴィキーのそれは二つの卵のように似ている。両者の相違は技術的なものでしかない。
両者の相違は主として、一方における秘密警察機関のヒムラーによる独占および集中と、他方におけるロシア警察の一見不統一で無連絡な活動の紛糾という点にある。
他方また、支配の組織のこの奇妙な方式が権力獲得以前の全体主義運動の組織原理と完全に対応することもあきらかである。
この支配機構を本当に権力機関とのみ見て、行政的、工業的、経済的能力の問題すべてを度外視するならば、その<無構造性>がナツィのいわゆる指導者原理なるものを実現するのにすばらしく適していることがあきらかになる。
単にその機能が重複し合うばかりか同一の任務を与えられている各機関の競争は、支配者への反対やサボタージュをほとんど不可能にする。」
「機関の増殖と政治体の無構造性は責任意識と専門的知識をすべて無効にしてしまう。それは、いろいろな機構の途方もない増加それ自体が大きな経済的負担と生産性の低下を結果するということではなく、常に相反する命令が出され、最高指導者自身の干渉をまたなければそれが解決され得ないということなのである。
・・・・この自縄自縛は特に戦時中の東部地域で甚だしかった。東部地域では誰が何を命令すべきなのかもう誰にも全然わからなかったからである。
この渾沌のなかにやっと秩序が立てられたのは、遂にSS(親衛隊)が国防軍および占領軍の最高権威をもあきらかに凌ぐ優位を占め、ヒットラーがよく言っていたようにすべてを「冷静に絶滅し」はじめてからなのだ。
「いかなる任務もそれ自身のために存在するのではない」というSSのモットーが殺人とありとあらゆる種類の狂信を促すのに恰好なものだったことは明白である。
しかしそれと同時にまたこのモットーは、特定の仕事や任務への純粋の関心をすべて失わせ、行為というものはすべてその行為とはまったく異なる何事かのための手段としかみなされないという理由からだけでも持続的なものが何一つ作り出せないようなメンタリティを生み出す。換言すれば、殺人者にむかって殺人ということではなく人種のことを考え、現在おこなわれている行為ではなく千年帝国のことを考えねばならないと説き聞かせることは、非常に有益であり合目的だということだろう。」
「 徹底化はまさに開戦と同時にはじまった。それどころか、ヒットラーがこの戦争をおっぱじめたのはまさに、戦争のおかげでこの過程を平時にはまず考えられないほどの速度で促進することができたからだと考えねばならない。
しかしこの過程について注目すべきことは、スターリングラードの手前での敗北のような手痛い敗北によってすらそれ(*ユダヤ人の絶滅など)が全然抑止されず、全面的敗戦の危険すら次のような結果しか生まなかったということだ。
すなわち、一切の合目的な考慮はしりぞけられ、全体的組織の力をもって遮二無二全体主義の人種イデオロギーの目的をごく短期間であれ実現することにすべてを賭けるということである。
スターリングラードの後では、それまでなるべく一般住民から隔離されていたSS幹部は甚しく増員された。国防軍所属者の入党禁止は解かれ、いたるところで軍隊は事実上SS指揮官の隷下に置かれた。SSが後生大事に守っていた虐殺の独占権すらも破られ、国防軍軍人たちもますます大量虐殺に関与させられた。軍事的考慮も経済的考慮も政治的考慮も、大量移住および<大量淘汰>という戦争遂行にとってはあらゆる点で不利な金のかかるプログラムを実行する段になるとまったく問題にされなかったのである。」
(つづく)
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