大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

バザーリア語録(了)

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イタリアの精神保健改革の中心人物、
フランコ・バザーリアの言葉

『プシコ・ナウティカ イタリア精神医療の人類学』
 (松嶋健 著 世界思想社 2014年7月発行)から

<参考>
映画「むかしMattoの町があった」
http://180matto.jp/




「施設の中で仕事を続けることには、現実的かつ象徴的な意味があるのです。中で暮らす人の大多数に対して、何があろうと、施設におけるどんな役割においてであっても、どうしたら施設に対して抵抗することができるのかを示すことができます。
 施設の外で行動することは、オルタナティヴの提案にはなりうるかもしれませんが、誰もが活用できるものではなくなりますし、それに比べて特権的な状況になろうものなら、そのときには模範としての価値は失われてしまいます。
 しかも、あなた(*反精神医学の立場のレイン)自身が言うように、ある時点で、もはやそれ以上は「外」へ行けなくなってすべてが「施設」になってしまうという問題が、常に開かれたまま残ることになります。」
(1975)


「私は、いかなる反精神医学運動にも属したことはありませんし、反精神科医とカテゴリー化されることも拒否します。「反精神医学」とは何も言っていないに等しい、それは「精神医学」と同様です。
 私はあくまで一人の精神科医です。というのも私の役割は、精神科医であることだからです。そしてこの役割を通じて、自分の政治的な闘いをしたいのです。私にとって政治的な闘いとは、科学的な闘いでもあります。なぜなら私たち人間科学の技術者は、新たな科学を打ち立てなければならないからです。そしてその科学は、すべての人が必要としているものについての研究から出発しなければならないのです。」



「今日、私たちが生きている特別に熱い状況において、テロリズムが闘争の空間を開き、諸矛盾を開いたと言う人がいる。これを認めることこそまさに狂気であって、それは、赤い旅団こそが国家に対するオルタナティヴを示す現象だと考えるようなものである。だが、むしろ彼らは国家の鏡像なのである。矛盾を開くということは、もっと複雑で困難な問題である。
 私たちの分野では、20年以上前から推し進めてきた行為によって、諸矛盾を開いていったが、それらはどのようにしても閉ざすことはできない。なぜならそれらの矛盾を闘いながら常に開いたままにしているからだ。(中略)
 私たちもまた、誤った意識と支配的なイデオロギーに対する実践的で日常的な闘いのなかで、共同体に対して暴力を為した。例えば、狂人を外へ出すのは、危機をもたらす一つの侵犯である。しかし、この危機の状況のなかで、私たちは暴力を為した人々に対していつでも応じる用意がある。冒険主義ではない、危機的状況において、他者たちと共に「そこにいる」ということなのだ。」
(1982)



「前の時代には、ゲットー化され、特殊な技術(隔離、拘束、電気ショック、薬などー精神医学は社会管理のための技術をいつでも用意する)を有していた精神病院と結びついたタイプの保護主義の話だった。
 今日ではこれらすべてが脱中心化される企てにわれわれは立ち会っている。こうして地域化という規準が有力になり、古い状況が一見新しい状況に変容したように見える。だがそこには常に、福祉的な管理の形式を再び持ち出す危険性が伴っているのである。」(1980)



「重要なのは、不可能が可能になるということをわれわれが示したところにある。10年、15年、20年前には、精神病院が解体されうるなど考えられないことだった。もしかすると精神病院はまた閉鎖的なものに戻るかもしれず、あるいは前よりももっと閉鎖的なものになるかもしれない。それは私にはわからない。
 でもともかく、狂気の人に対して、別のやり方で援助することができるということをわれわれは証明したのだ。その証言が根本的に重要なのである。ある行為を一般化できるということから、それが勝利をおさめたと言えるとは思わない。重要なポイントは別にある。それは、「やればできる」ということを、今や、皆が知っているということなのである。」



講演「解放の道具、あるいは抑圧の道具としての精神医学的技法」
彼は、問題なのは統合失調症などの「病気」ではなく、「人生の危機」なのだという。(松嶋健

「問題を危機と見るのか、それとも診断と見るのかは全く別のことです。なぜなら、診断は客体であるのに対し、危機というのは主体性の問題だからです。」(1979)


「エング(*イタリアの心理学者)によれば、地域とは要するに、〔二人の人間が互いに顔を突き合わせたときに起こる分有された経験の直接的な意味のこと。つまり直接に把握された理解〕のことである。それがわれわれを直接にあらゆるカテゴリーに先立つ原初的状況へと連れ戻すのである。
 それは、共意識を構成する。「一緒にいる」ということから直接生まれる内省以前のつながりである。精神病者は、客体的な身体として扱われるかぎり、この共意識の外にあるのだ。」
(1967)



「病者を死んだ身体として扱うような図式を、私たちは変えたいのです。そして、精神病院のなかで死んでいる病者を、(中略)生きた人間に変容させたいのです。調子の悪い人を、医師の手にだけ委ねるのではなく、他の人たち、病者だけではなく他の人たちと一緒に生きる新たな生のかたちを創り出そうとしているのです。
 患者のケアに共同体を巻き込もうとするのは、死んだ身体と精神病院を廃絶して、社会の生きた部分をそれに代えようとしているからなのです。これこそ、私たちが提案しているモデルであって、それは現行の社会の論理をうまく機能させないようにするものなのです。」



「(精神医療を)変容させるという仕事を始めたとき、私たちは実のところ、社会に対して侵犯を行なっていたのです。狂気を受け入れるように社会に強いたわけですから。それはそれまで存在しなかった大きな問題を生み出しました。
 ただ何より重要なのは、社会を侵犯するまさにそのときに、この暴力の結果を引き受けるために、私たちはそこにいたということなのです。新たな技術者として自身の行為の責任を引き受け、社会のなかに狂気の人がいるということが何を意味しているのかを社会が理解できるように手助けするためです。」






(了)