大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ハンナ・アーレント語録 2-(16)

・・・・・



全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房



「 安定した現実のなかでは、そしてすべての人から監視されている世界のなかでは嘘はすぐばれてしまう。嘘がばれないですむのは、全体的支配の状況がすでに広汎に日常生活を蔽ってしまい、プロパガンダなどというものが不必要になってしまったときだけである。運動がまだ権力を握っていないあいだは、大衆組織に霊感を与えなければならぬ関係上、自分らの真の目的を秘匿するなどということは決してできない。けれどもユダヤ人を南京虫のように、つまり有毒ガスで皆殺しにすることができるようになれば、ユダヤ人は南京虫であると宣伝する必要はもはやないのである。
トロッキーの名を挙げることなしに全国民にむかってロシア革命の歴史を述べることができるだけの権力を持っているときには、反トロッキー宣伝の必要はない。」



「 全体的支配というものの持つ無構造性、あらゆる物的な因子や利害の無視、合目的な考慮や単純な権力慾にわずらわせぬこと、これらのことは、政治というものが何よりもまず物的な幸福と安全のためにできるかぎり合目的に配慮をおこなうべきものと理解されているこの世界において、一切の政治的行動をまったく予測不可能なものにしてしまった。
 全体的支配は国際政治のなかにそれまでまったくなかった権力原理および現実原理を投げこんだのであるから、過去にしか学ぶとところのなかった非全体主義世界の常識は、この新しい組織体の客観的な力を判断することも見積ることもまだ全然できなかったのだ。だから唖然としてこれを外から見守っている連中は、全体主義組織の、また全体的支配の抱えている秘密警察の恐るべき効力を正しく評価し、そしてそのために全体主義諸国の物的な力を過大評価するあやまちにおちいった人々と、全体主義経済の非能率性を見て取り、一切の物的および経済的要因の無視という条件のもとでそこに生み出されている権力のポテンシャルを軽視する人々とに分れた。」


「 現実に存在する反対派がことごとく粛清され、住民の組織が固められてもはや彼らが身動きもできないほどになったとき、つまり本来の意味の監視などほとんど不必要になったとき、テロルは抵抗を壊滅し住民を監視する単なる手段であることをやめた。この段階においてはじめて、テロルというものをその固有の本質とする、本当に全体的な支配がはじまるのである。
 この全体主義固有のテロルの内容は決して単にネガティヴなものーたとえば体制の敵の打倒といったことーではなく、それぞれの全体主義のフィクションー無階級社会の建設とか民族共同体あるいは人種社会の建設とかーの実現にポジティヴにも役立つ。理論的には、これらのフィクションの実現は、そしてそれとともにそもそも全体的支配なるものは、世界支配という前提のもとにおいてのみ可能であり、それ故この方向への歩みはすべてもっぱら実験的な性格しか持たない。しかしこの限界のなかで全体主義のフィクションはすくなくとも一時的にはほとんど完全に実現され得るばかりか、全体的に支配されている地域が外界からぴったりと閉ざされていればいるほど完全に実現されるのである。
 ヒットラーのドイツにとってこのような隔離のすばらしい機会は第二次世界大戦だった。そしてヒットラーは、戦争のおかげで非全体主義への「橋を取払う」ことができ、人種社会というナツィのフィクションをほとんど工場経営のような形でおこなわれる「人種的劣等者」の殺戮によってすくなくとも一時的には全面的に実現し得たことを、最悪の軍事的逆境にあってすら忘れなかったのだ。」



「 国民社会主義国家(この国家自身はユダヤ人に対する絶滅計画をいやいやながら法制化したのであったが)というファサードではなく、国民社会主義運動のほうが、ユダヤ人絶滅行動が完結してもいないうちから、新しい<客観的な敵>を捜し求め新しい犠牲を準備しはじめたのであった。こうして1941年には、本来ユダヤ人を目標として発せられた規定ーいわゆるニュルンベルク法なるものも、また身分をあきらかにする識別票を身につけることもーはすべてポーランド人に適用され、しかも同じ頃ヒットラー自身ドイツ民族集団の<健全化>のための大規模な計画を練っていたが、この計画によればすべての器質的な疾患を持つ者、とりわけ肺病および心臓病患者は家族もろとも消し去られる
ことになっていた。
 ボルシェヴィキー体制においては嘗ての支配階級の子孫はナツィ・ドイツにおけるユダヤ人と同じ役割を演じた。彼らが一掃された後にはーユダヤ人のそれと同じく彼らの一掃も、<革命的な>、つまり全体主義以前の時代に定められた綱領のなかで予定されていたのだがー今度は農民階級が30年代の初期に無階級社会の<客観的な敵>となった。
 1936年から後の大粛清の時代には官僚階級がこれにつづき、戦争勃発の直前にはポーランド系ロシア人となり、戦争中はクリミア・タタール人とヴォルガ・ドイツ人だった。戦争終結以後は戦争捕虜になったことのあるロシア人と占領のために西方に駐在した赤軍部隊とが<危険な傾向の持主>と認められる。そしてユダヤ人国家の建設の後ではロシアに住むユダヤ人が。こうしたカテゴリーの選び方は決して純粋に恣意的なものではない。運動の国外における宣伝目的のために公表され、利用される以上、選ばれたカテゴリーは敵と考えられてもおかしくないものであらねばならぬ。のみならず、特定のカテゴリーの選択は、運動全体の一定の宣伝上の必要によって規定されていることもあろうーたとえば、ソ連ではまったく前例のない公的な反ユダヤ主義の突然の出現がそれだが、これはヨーロッパの衛星国内でソ連への共感を得ようとして仕組んだものと考えられないでもない。」






(つづく)

・・・・・