大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ハンナ・アーレント語録2-(17)

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全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房





全体主義の警察は犯罪を摘発するという任務を持たない。いかなる犯罪がおこなわれ、そして誰がその時点で犯人であるかを決めるのは最高指導者である。そのかわりに警察は住民のなかの特定のカテゴリーが逮捕されねばならぬという場合にはいつもそこに控えていて、その連中の姿が見えなくなるように手を打たねばならない。
 警察が誇り得る唯一の栄誉はーそしてこれは非常に高い栄誉なのであるがー、その時点で何がたくらまれているのか、そしてどのような政治路線がその時点で決定されているのかを知っているのは警察だけだということである。このことはとりわけ、一つの階級全体の、もしくは或る民族集団全体の一掃というような高級政治の問題について当てはまる。
 1930年代の初め、階級としてのロシアの農民が殲滅されたとき、政治局の本当の目的について知っていたのはGPU(*ゲーペーウーソビエト連邦レーニンスターリン政権下で、反政府的な運動・思想を弾圧した秘密警察)の幹部だけだった。そしてナツィ公安部(SD)に在籍するものだけが、ユダヤ人の流刑および時に応じてのユダヤ人大量殺戮が全ユダヤ民族の絶滅の序曲であることをすでに対ロシア戦の開始時に知っていたのである。」




「 注目すべきことに、自分の犠牲者から金を出させるという伝統は他のことがいくら変っても維持された。ソヴェート・ロシアでは、NKWD(*ロシアの内務人民委員部。スターリン政権下で刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関を統括していた国家機関)の巨大な機構はもっぱら強制収容所の奴隷労働に依存していた。この奴隷労働は深刻な労働力不足の期間にはロシア経済における生産部門できわめて重要な役割をはたすと同時に、失業の時期においてはあきらかに過剰になった労働力を除去するのに役立っている。けれどもこの奴隷労働の純粋に経済的な目的は、奴隷労働者の逮捕と監視に任ずる連中の生活を支えることにあったように見える。
 だからヒットラーが最初から警察部隊として構想したSS(ナツィ親衛隊)が<賛助隊員の募集権>を与えられたナツィ運動内の唯一の団体だったことは特徴的である。この結果SSは、<自発的な寄附>によって秘密警察の経費をまかなうという古くから用いられて来た恐喝方法を存分に用いることができたのであった。権力掌握後ヒムラーは没収財産を売却することでSSの資金を調達した。」




全体主義社会においては挑発はほとんど人と人の日常的な交わりの形式になっているが、勿論それは、彼らが挑発をおこなうようにはっきりと教育されているからでも、意識的に挑発してやろうと決意しているからでもなく、どんなフランクな思想交換といえども、一旦党の路線が不意に変更されたあかつきには、結果的に挑発と同じ効果を挙げ得るからである。
 ロシアの粛清の際には、告発された、もしくは嫌疑を受けた場合、昨日自分が口にした言葉をあれは実は挑発だったとして弁明するのがごく一般の習慣だった。たしかに自発的な密告と無報酬のスパイ行為はそれまでになかったものではない。それまでになかったのはただ、こうした行為が<全体的に>組織され、そのため特にこのために使われるスパイが無用になってしまったことである。意識的であれ無意識的であれ各人が各人をさぐりまわし、誰がスパイとして正体をあらわすかもしれず、誰もが常に脅威を感じていなければならぬ雰囲気のなかでは、ー日常生活における安定を奪い、たちまちのうちに出世することもたちまちのうちに破滅することもひとしく可能な状態のなかでは口に出した言葉は常に二重に解されるものとなり、後になってしかるべく解釈されることがあるのだ。」



「 全体的支配は犯罪と栄誉、罪と無罪の概念を、われわれがすでに知っている独裁政治もしくは専制政治のように自分にとって都合のいい方針に従って<一変>したのではなかったーこうした概念をまったく廃棄し、そのかわりに<望ましからぬ者>および<生きる資格のない者>という新しい概念を持って来たのだ。
 が、この概念はそれまでほとんど思いも及ばなかったような有効性を持っていた。人が罰することができるのは犯罪人であって、望ましからぬ者や生きる資格のない者は、あたかも嘗て存在したことがなかったかのように地表から抹殺してしまうのである。彼らを見せしめに仕立て上げることなどは決してない。彼らが後に残す唯一の形見は、彼らを知り、彼らを愛し、彼らと同じ世界に生きていた人々の記憶だけだ。だから、死者と同時にその形見をも消し去ることが全体主義の警察の最も重要な、最も困難な任務の一つなのである。」






(つづく)

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