大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ナチ時代の精神医学(5)

ナチ時代の精神医学ー回想と責任

ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の
2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話
DGPPN会長 フランク・シュナイダー
訳:岩井一正
(日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略





「 ある統合失調性精神病を病んだ患者についての1939年の病歴がベルリンの連邦資料室に残されています。そこには次のような記載があります。


 『かわりなし。精神的には死んでいる。病歴はここで終わりとする。今後も何ら変化はないからである。唯一記載に値するのは、死亡の日付である。』


 殺人の前に多くの患者で「研究」が行なわれました。倫理的に許されない実験であり、科学と研究の価値と何ら関係のないものです。一例をあげるならば、ミュンヘンのドイツ精神医学研究所の研究者ユリウス・ドイセンと協同したハイデルベルグ大学精神科の正教授カール・シュナイダーの「安楽死」の文脈での精神的に病んだ子どもや少年についての仕事です。患者で費用のかかる実験が行われ、次いで死亡させ、剖検をしました。患者の研究は治療介護院でも実行されました。たとえば、カウフボイレンの結核菌の植え付け、ヴェルネックでの多発性硬化症のウイルス起源説の研究、あるいは安楽死犠牲者での神経病理学的研究です。最後の研究の患者は、おそらくはこの研究のために取り分けて安楽死へと選別された患者でなされたものでした。

・・・・
(中略)


 殺された多くの患者の遺体とそれぞれのプレパラートは、研究目的で強く所望され、このプレパラートに基づいて得られた研究結果は、戦後もまだなお発表されました。ベルリンのブーフにあるカイザー・ヴィルヘルム脳研究所では、少なくとも295の「安楽死」犠牲者の脳が研究に利用されました。そして今に至るまで、殺された患者のプレパラートに対して安易な扱いがなされてきました。


・・・・・
(中略)


 国家社会主義の時代に精神医学でなされたこれらすべての不正に対しては、確かに抵抗が存在したし、サボタージュもありました。医者の50%以上は国家社会主義的組織、NSDAP(*国家社会主義ドイツ労働者党)、SA(*ナチ突撃隊)、ないしはSS(*ナチ親衛隊)の会員でした。しかし逆にみれば、医者の半数は会員ではなかったことになります。すなわち制裁をこうむることなく利用できる行動の余地はあったのです。抵抗は必ずしも否定的な個人的な結末を迎えたわけではなかったので。

 抵抗を行使した者もいました。しかし総じてそれは少数、あまりに少数でした。とりわけ、開業医のなかにそのような者が存在しました。彼らは1934年から1939年の間、該当する公務医と保護局に遺伝疾患の可能性の存在を一例も報告しなかったのです。その理由は、大病院でないところでは、患者との接触がよりダイレクトであり、より直接だったことにあったかもしれません。このことは、今日われわれに対する警告でもあります。われわれの日常において、われわれが世話し付き添う患者たちを見失ってはいけないのです。われわれの医師としての仕事の基本精神は、彼らだけであって、社会のイデオロギーではありません。ただただ1人の人間なのです。


 人間の尊厳は常に1人1人の人間の尊厳です。このことの軽視を、法が主導するようなことがあってはなりません。

・・・・
(中略)               」







(つづく)