大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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中井久夫語録(戦争)12

中井久夫(1934年生)

戦争と平和 ある観察」(2005)

*『樹をみつめて』みすず書房(2006)
または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から





「 マーガレット・バーク=ホワイトのようなニューディール時代に一世を風靡した女性写真家でさえ、ベルリン陥落の際に略奪を行ない、「略奪は熱狂であり情熱である」「今では自分が略奪したのを喜んでいる、なぜかというと、略奪をしてみることで、そうした行動の背景にある衝動を理解できたからだ」と友人に語っている。この知的な女性をも熱狂させる深く暗い衝動がある。
 
 強姦については、ある泌尿器科医に生理的に不可能ではないかと問うたところ、そのとおりで、われわれには理解できないということであっった。・・・・・(中略)・・・・。
 しかし、相手の抵抗によって性的に煽られる者もある。このような、平時には犯罪者となっている者が戦争の際に主役を演じることは予想以上に多いだろう。一つの悪は百の善を帳消しにする。それは権力欲化した性である。なお略奪、暴力、強姦の際に「低いレベルの自己統一感」が生じることも無視できないであろう。スポーツの際には葛藤の棚上げによる統一感が生じるが、その遙かな延長線上にあると考えて見ると少しは理解しやすくなるかもしれない。

 しかし、逆に「理性的な」捕虜虐殺もあって、これも第二次大戦以前から見られたものであり、欧米軍の兵士にはこれを逃れて「うまく捕虜になる技術」が教えこまれるほどである。
 捕虜は厄介なものである。降伏を受諾すれば、そのために護衛兵力を割き、後方に連行しなければならない。護衛兵士の数が少なければ捕虜は反乱する可能性があり、多くすれば味方兵力が減る。そのために意図的に兵士を大量に敵に放って捕虜とさせた例もあるぐらいである。後方では収容施設を作り、衣食を与えなければならない。やがて赤十字の訪問も受けねばならない。第一次、第二次の両大戦を通じて、双方の陣営で捕虜をとらないこと、すなわち、事実上捕虜の虐殺はしばしば起こっている。捕虜になる寸前に射殺することもあるが、捕虜を並べて射殺することもある。私の記憶するのは、重巡洋艦「利根」がインド洋通商破壊作戦の際、労務者輸送船を捕獲したが、大量の労務者(インド人、中国人)を舷側に並べて射殺している。捕虜の食料その他を賄うためには作戦を打ち切るしかないという状況であった。戦犯としての刑期をつとめてから艦長・黛大佐が自ら語っておられたかと仄聞する。揚子江岸での掃射による虐殺が事実とすればこの型のものであろう。
 
 また、多くの兵士が中国人の家に匿われたという事態がある。日本警備兵は民家の扉を蹴破って、顔が陽にやけて額の横一直線から上は(軍帽のために)白い青年を兵士として引き立てるのであるが、この際、匿っている家族は適性家族とみなされるであろうし、事実、恐怖をこめて凍りついた無表情な顔と敵意に満ちた眼差を向けられるであろう。国際法は軍服を脱いだ兵士を必ずしも保護しない(これは国際法上支持できないとされるが広く信じられていた)。略奪、強姦、虐殺が家族に及んでもふしぎであるまい。強姦には、家族を心理的に傷めつけるという意味もある。
 
 一般にこのような事態は占領を困難にする。自らに不利な行為であり、少なくとも将校はそのことを理解しておかねばならないだろう。中国との戦争においては「敗戦」という事態を全く予想しなかったことも、抑止力を欠いた一理由であったろう。米英との戦争開始後、「この戦争には絶対に敗けられない」「敗けたら大変なことになる」と軍人が先頭に言い出したのは、中国戦線における中国人にわが身を置き換えての結論であろう。・・・・」







(つづく)
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