大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「戦争とストレス」語録 1

「戦争とストレス」語録



その1『戦争における「人殺し」の心理学』から ~1
(デーヴ・グロスマン著)




「心に痛手を受ける体験をしたとき、それをだれにも話さずにいると深く傷つくことになりやすい。人に話すことは、自分の体験を客観的に眺めるのに役立つ。だが内に秘めたままにしていると、私が心理学を教えた学生のひとりがかつて言ったように、「生きながら内側から喰い荒らされる」ことになる。」



「兵士たちは、戦争の本質を見抜いている。
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かれら自身のことばは、戦士と戦争が英雄的なものだという神話を打ち砕く。」



「一般に、健全な人間は殺人というテーマには不安を抱くものだ。・・・

私たちは<暴力という闇の美>に惹かれる自分自身を認めようとせず、攻撃性を非難・抑圧するばかりで、真正面から見すえて理解し、制御しようとしないのである。
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殺した者の苦しみの中核には、殺された者の苦痛と喪失がある。それはつねに、殺した者の魂の奥に鳴り響いているのだ。」



「平均的かつ健全な個人、すなわち戦闘の精神的・肉体的ストレスに耐えることのできる者でも、同胞たる人間を殺すことに対して、ふだんは気づかないながら内面にはやはり抵抗感をかかえているのである。(マーシャル)

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殺人を研究するうえでまず理解したいのは、平均的な人間には、同胞たる人間を殺すことへの抵抗感が存在するということだ。

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第二次大戦中の戦闘では、アメリカのライフル銃兵はわずか15から20パーセントしか敵に向かって発砲していない。発砲しようとしない兵士たちは、逃げも隠れもしていない(多くの場合、戦友を救出する、武器弾薬を運ぶ、伝令を務めるといった、発砲するよりも危険の大きい仕事を進んで行っている)。ただ、敵に向かって発砲しようとしないだけなのだ。日本軍の捨て身の集団突撃にくりかえし直面したときであさえ、かれらはやはり発砲しなかった。
 問題は、なぜかということだ。なぜ兵士たちは発砲しなかったのか?
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その要因とはすなわち、ほとんどの人間の内部には、同類たる人間を殺すことに強烈な抵抗感が存在する、という単純にして明白な事実である。その抵抗感はあまりに強く、克服できないうちに戦場で命を落とす兵士が少なくないほどだ。」






(つづく)