大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「戦争とストレス」語録 5

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その1『戦争における「人殺し」の心理学』から ~4
(デーヴ・グロスマン著)




「 ダイアもまたこの問題を真剣にとりあげ、理解を深めていった。彼の調査に応じた人々がよく知っていたこと、そしてダイア自身も理解していたのはこういうことだー

 「人は強制されれば人を殺す。それが自分の役割だと思えば、そして強い社会的圧力を受けていれば、人はおよそどんなことでもするものだ。しかし、人間の圧倒的多数は生まれながらにしての殺人者ではない」

 この問題にまともにぶち当たることになったのが、アメリカ陸軍航空隊(現アメリカ空軍)である。第二次大戦中、撃墜された敵機の30~40パーセントは、全戦闘機パイロットの1パーセント未満が撃墜したものだとわかったのである。ゲイブリエルによれば、ほとんどの戦闘機パイロットは「1機も落としてないどころか、そもそも撃とうとさえしていなかった」

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いざという瞬間になると、敵機のコクピットに人間の顔が見える。パイロット、飛行機乗り、<空の兄弟>のひとり、恐ろしいほど自分とよく似た男の顔。そんな顔を目にしては、ほとんどの兵士が相手を殺せなくなるのも無理はない。戦闘機のパイロットも爆撃機パイロットも、自分と同種の人間と空中戦を戦うという恐ろしいジレンマに直面する。

(中略)

 ごくふつうの人間は、なにを犠牲にしても人を殺すのだけは避けようとする。このことはしかし、戦場の心理的・社会的圧力の研究ではおおむね無視されてきた。同じ人間と目と目が会い、相手を殺すと独自に決断を下し、自分の行動のために相手が死ぬのを見るー戦争で遭遇するあらゆる体験のうちで、これこそ最も根源的かつ基本的な、そして最も心的外傷を残しやすい体験である。このことがわかっていれば、戦闘で人を殺すのがどんなに恐ろしいことか理解できるはずだ。」




「 情報化の進んだ現代社会では、殺人はたやすいという神話の助長にマスコミが大きく貢献しており、殺人と戦争を美化するという社会の暗黙の陰謀に加担する結果になっている。ジーン・ハックマンの「バット21」(ある空軍将校が気まぐれに自分の身近な人々を殺してしまい、自分の行為に恐れおののく)のような例外はあるものの、だいたいにおいて映画に登場するのはジェームズ・ボンドであり、・・・、ランボーであり、インディ・ジョーンズだ。かれらはあたりまえのような顔をして何百人もの人間を殺してゆく。ここで重要なのは、マスコミの描く殺人も、これまで社会が描いてきた図と同じく実態からはほど遠く、鋭い洞察など薬にしたいほどもないということだ。


(中略)



しかし、この問題があまり注目されていないのは、極秘の基本計画のせいなどではない。哲学者にして心理学者であるピーター・マリンの言葉を借りれば、<大がかりな無意識の隠蔽>のせいなのである。これによって、社会は戦争の本質から目をそむけているのだ。戦争についての心理学・精神医学の文献にさえ、「一種の狂気が作用している」とマリンは書いている。「殺人に対する嫌悪感および殺人の拒絶は、<戦闘に対する急性反応>と呼ばれ、<殺戮および残虐行為>によるトラウマは、「ストレス」と呼ばれる。まるでエグゼクティブの過労のことでも話しているかのようだ」。「文献をいくら読んでも、実際に戦場で起こっていることはちらとも見えてこない。戦争のほんとうの恐ろしさも、そこで戦う者が受ける影響についても」。
心理学者として、マリンのこの指摘はまったく正しいと私は思う。
 いまでは、この種(発砲率など)の問題を50年以上も機密にしておくのはまず不可能だ。軍のなかでも心ある人々は声をあげているのだが、彼らの訴える真理に耳を貸そうとする者がいないのである。
 これは軍の陰謀などではない。たしかに隠蔽もあり、「暗黙の緘口令」もあるが、それは文化による陰謀である。私たちの文化は、何千年も前から戦闘の本質を忘却し、歪曲しあるいは偽ってきた。」





(つづく)