大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「戦争とストレス」語録 6

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その1『戦争における「人殺し」の心理学』から ~5
(デーヴ・グロスマン著)



「・・・ホームズの記録しているあるベトナム帰還兵によれば、彼とともに戦った海兵隊員たちは、戦闘のあとにある悟りに達していたという。

「自分たちが殺した若いベトナム人は、個の存続というより大きな戦争では同志なのだと感じるようになった。顔のない<世間>との戦争では、あの若者たちとは生涯通じて仲間なのだと」

ホームズは、アメリカ兵の精神について時代を超えた鋭い考察を残している。

北ベトナムで歩兵を殺すことで、アメリカの歩兵は自分の一部を殺していたのである」。

 この真理から人が目をそむけるのはそのためかもしれない。殺人への抵抗の大きさを正しく理解することは、人間の人間に対する非人間性のすさまじさを理解することにほかならないのかもしれない。

 グレン・グレイは第二次大戦の体験から罪悪感と苦悩に駆られ、この問題について考え抜いたあらゆる自覚的な兵士の苦悩をこめてこう叫ぶ。

 「私もまたこの種に属しているのだ。私は恥ずかしい。自分自身の行いが、わが祖国の行いが、人類全体の行いが恥ずかしい。人間であることが恥ずかしい」。

 グレイは言う。

 「良心に反する行為を命じられた兵士が抱く疑問、そこに始まる戦争にたいする感情の論理は、ついにはここまで達するのである」。
このプロセスが続けば、「良心に従って行動することができないという意識から、自分自身に対する嫌悪感にとどまらず、人類全体に対するこの上なく激しい嫌悪感が生じる場合がある」。

(中略)

 殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが、本能的、理性的、環境的、遺伝的、文化的、社会的要因の強力な組み合せの結果として存在することもまちがいない。まぎれもなく存在するその力の確かさが、人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる。」






(つづく)