大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (3)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/



イタリア、イタリア、パルチザンパルチザン・・・・・と唱えながら、
地元の図書館に行った。

立ち寄った須賀敦子全集のコーナーで、
たまたま、「うーん、さすが須賀敦子」とうなりたくなる
2つの重要な、核心をつく文章(エッセイ)に出会った。
今回の映画のテーマに関係しているので、先に紹介しておきたい。



「福祉という柵」
(1977年12月 聖心女子大学同窓会宮代会誌に初出、全集第5巻所収)

 福祉という、ちょっと素性の知れない言葉に、私達はいつのまにか慣らされてしまって、あたかもそれが確固とした実体のある事実であるかのように、振りまわされているのではないか。言葉よりもお互いが人間らしい生き方をし、人間らしく話しあえることを、じっくりと求めたい。
 福祉という柵を設けて、ふつうの人間と同じように生きられないと私達の決める人を、そこに閉じこめてしまう。そして、自分は、福祉のお世話なんかならないで済む世界に、ぬくぬくと生きている。もし、私がそんな福祉の対象になる立場に置かれたとしたら、どんなにつらいだろうか。
 福祉を解体してゆくことが、福祉に携わる人達の仕事なら、人びとを施設に送らないようにするのが、いままで施設に送られていた人達を、自分達の家に、学校に、そのまま残しておく、更に、新たに彼らを受け入れるのが、私達の仕事ではないか。
 施設という一つの閉ざされた世界がある。家族という、もう一つの閉ざされた世界がある。この二つの世界を、少しずつ、私達の努力で近づけていって、その二つが溶け合う領域のようなものを、つくれないだろうか。理想的な施設を目指すよりは、その施設に送られる筈であった赤ん坊を、身障者を、老人を、その他あらゆるハンディキャップを負った人たちを、自分達で抱えこみ、共に生きていくような場を、社会にふやしていきたい。そのためには、私達の日常生活は、勿論、より非能率的になるのだけれど。理想的な施設をふやすという考え方は、やはり、姥捨ての思想につながり、そのもっと先には、ナチの強制収容所の思想さえ、ちらつくのではないか。ある「種」の人びとが、自分達の社会にいなくなったほうが、社会が整頓され、自分達の日常生活が楽になるという思想。電車やバスのシルバー・シートの思想。あの「施設」をつくったあと、もう、自分のまえに立っている老人に席をゆずらなくともよいと考える人間がふえるのだったら、これは、明らかに、社会の非人間化、非文明化の第一歩である。母親は子供達に、あれをどう説明すればよいのか。
 もたつきながら自分達の苦しみを見つめ、それに腹を立て、それに泣かされながらも試行錯誤つづけていく社会、より自己充足的でない施設を目指していきたい。そうでないと、人類が人類として、生き残れないと思うからだ。政治も勿論、福祉政策を、そのような方向にもっていくべきだと思うし、それ以前に、私たち一人一人が、毎日の生活のひたすらな能率主義を、自分よりゆっくり歩いて行く人と歩調をあわせるために、少しずつ崩していく以外、私たちが、もう少しゆっくり歩こうとすること以外、どうにもならぬのではないか。




「わがこころが愛するものへ さらばフェリーニ」(抜粋)
(1993年11月10日読売新聞 全集第4巻所収)
 
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
 「道」のジェルソミーナはもとより、目のみえない街角の楽師や、こびとの修道女、精神病院にいる叔父さんなど、フェリーニの映画には、からだや精神に障害をもった人物がよく描かれた。そこには、イタリア人がなによりも大切にする、メラヴィリア、自分にはとてもできない、とてもなれない、ある意味では常軌を逸した、目をみはらせるようなできごとやものごとや人たちへの、驚嘆と尊敬の交錯する精神が深く根をはっている。
 こういう人たちがいて人間の世界がほんとうに人間らしくなる、そういったことを、ゆたかさの溢れる映像で示してくれたのが、たぶんフェリーニのすばらしさのひとつなので、彼の映画、とくにこの「アマコルド」を見るたびに、この人は、ナチスファシズムの犯した罪の醜悪を、人間をぜんたいとして見ることで償ってくれたように思えてならない。







(つづく)