大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかしMattoの町があった」 (40)

全国で自主上映
イタリア映画「むかしMattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 28 (『フーコー思考集成』(筑摩書房)から)



160  「精神病院、性、監獄」  対談 1975



(精神病院、性、監獄といった抑圧の問題にいつ頃から、そしてどういった事情で関心をもつようになったのですか?)
「それは私がとある精神病院で研究を始めた1953年から55年頃のことで、そこで心理学の研究をやっていた時だと思います。それは二重の意味で幸運でした。まず患者でも医師でもない立場で精神病院というものを知ったこと。医師じゃないから、特権ももたなければ、権力を行使することもなかった。私は言わば「どっちつかず」で曖昧で身分も定かでない存在だったんで、勝手にうろつき回れたし、素直な目で物事を観察できたんです。それが私のこの道の出発点でした。まあこれは余談ですがね。私がサン・パウロ大学の講座で説明しようとしたのは、ナチズムとスターリニズムの終焉以来、資本主義および社会主義社会の内部での権力機能が問題になってきたということです。ただし私が権力の機能と言うときには、単に国家機構、支配階級、覇権的な特権階級といった問題だけを指すんではなく、むしろ末端付近の微細なところで働いている一連のミクロ権力、つまり個人個人の日常行為はおろか身体そのものにまで及んでいく権力を指しているんです。我々は権力の策略の網にからめ捕られて生活している。私が言うのはそういう意味での権力です。・・・・・


狂気が病気だという考え方は、歴史的に見ればごく最近ものなんです。十八世紀頃までは、狂人は病人とみなされてはいなかった。それがあるとき病気だとされるようになったのは、ちょうど医学的権力が狂気を手中に収めた時期で、このとき奇行とか性的変質とかその他一連の現象も狂気と関連づけられたんです。・・・・・・・・

面白いもので、サスとベッテルハイムはアメリカで、レインとクーパーはイギリスで、バザーリア(*映画の主人公)はイタリアでといったように、皆それぞれ別の医学的経験をもとに研究を進めていたんですよ。・・・・・いずれにしても、1960年頃から、見知らぬ者同士が図らずも同じ方向で研究を進めるといった事態になったわけです。・・・・・」



精神科医の連中からはきまって、やれフーコーは精神病を論じただの、現代精神医学を論じただの、その体制を論じただのと言われてきました。しかし私の本を読めば、それが十六世紀から1840年までの体制を狂気との関連において論じているくらい誰だってすぐ分かるはずです。彼らの苛立ち、「精神科医でなければこのテーマを扱う資格」が無いとする態度は、まさに彼らの本音でしょう。・・・・・・・十八世紀の精神病者収容制度がどんなものかを知るのに、なにも精神科医である必要はないはずです。・・・・・・・」



172  「ソ連およびその他の地域における罪と罰」   1976年



強制収容所が大都市の中(リトアニアの首都リガ)に設置されたという事実が、あたかも一つの弁明であるかのごとくに言われているのです!・・・・・・収容所が都市の中に存在しているという事実の内に、フランスの市役所や裁判所や刑務所でのように何のはばかりもなく行使されている権力の紋章を認める必要などないかのごとくなのです。そこに拘留されている人たちが政治犯なのかどうかという以前に、このようにはっきりと見える場所に収容所を設置することや、収容所が露にする恐怖が、それ自体そもそも政治的です。施設の壁を引き伸ばしている有刺鉄線、交差しあう光の束、夜の監視人の足音、こうしたものが政治的であり、そして一つの政治なのです。・・・・・・・・・・・・・・実際には、監視塔や犬や灰色の長屋が「政治的」であるのは、それらが永遠にヒットラースターリンの戸棚にあり、彼らがそれらを自分たちの敵を片付けるために使っていたからに過ぎません。しかしながら、刑罰技術(監禁、剥奪、強制労働、暴力、屈従)としては、それらは十八世紀に発明された古い刑罰装置に近いものなのです。ソ連は、「ブルジョワ」的な秩序―私が言いたいのは、二世紀前の秩序のことですが―の方法に従って刑罰を行っています。そしてそれを変えるどころか、ソ連はその最も傾斜のきつい坂を登っているのです。・・・・・・・・・」


「精神病院への反体制派の強制収容は、社会主義を自称する国においてはとりわけ逆説的です。・・・・・政治的な反体制派(制度を認めない、理解しない、拒否する人のことを言いたいのですが)とは、ソ連の市民全体に関していえば、いかなる場合においても病人とは見做されるはずのない人のことなのです。反体制派は、単に政治的な処置の対象にされるはずです。政治的な処置とは、彼にその誤りを気づかせ、その意識の水準を向上させ、ソビエトの現実は一体何において理解可能であり必要なのか、望ましく魅力的なものなのかを彼に理解させることを目的としたもののことです。しかし、〔精神医学の〕治療処置の対象とされているのが、誰より彼ら政治的な反体制派の人たちなのです。それは、ある人に、その人の抵抗は根拠薄弱だということを、理性的な言葉で説得することは不可能であると、いきなり最初から認めることではないでしょうか?・・・・・・・・・」





(つづく)