中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から (前回からのつづき:非対称性戦争) 「(3)戦闘員と非戦闘員とが服装・徴章その他によって識別できるの…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 日中戦争および20世紀後半の主な戦争に共通の条件は何であろうか。 (1)それは非対称戦争である。…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 戦争の堕落の現われは、まず、戦争が敵兵の死体数の増加(ボディ・カウント、キル・レート)を競うよう…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 マーガレット・バーク=ホワイトのようなニューディール時代に一世を風靡した女性写真家でさえ、ベルリ…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 次に、いずれも意外に頑強な抵抗に苛立って、飲まず食わず眠らずで前進したことがある。1941年秋にパリ…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 戦争初期の熱狂が褪(さ)めるのに続いて、願望思考にもとづく戦争の論理が尽き果てる過程がある。 第…
1999年(平成11年)1月10日(日) *必ずクリックして拡大 ・・・・・・・
1989年(平成元年)1月11日(水) *必ずクリックして拡大 ・・・・・・・
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 戦争中の指導層に愕然とするほど願望思考が行き渡っているいるのを実に多く発見する。しかも、彼らは願…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 しかし、祝祭(*開戦直後)の持続は一カ月、せいぜい三カ月である。それが過ぎると戦争ははじめてその…
1979年(昭和54年)1月17日(水) *必ずクリックして拡大 ・・・・・・・・
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 しばしば「やられる前にやれ」という単純な論理が訴える力を持ち、先制攻撃を促す。虫刺されの箇所が大…
1969年(昭和44年)1月20日(月) 東大紛争の中、全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していたが、大学から依頼を受けた警視庁が1969年(昭和44年)1月18日から1月19日にかけて封鎖解除を行った。 *…
1959年(昭和34年)1月23日(金) ラジオ番組も含む *必ずクリックして拡大 ・・・・・・・ (「昔のテレビ番組表」つづく)
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 平和の論理がわかりにくいのは、平和の不名誉ではないが、時に政治的に利用されて内部で論争を生む。ま…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 戦争にはさまざまな長さの準備期間と始まり方と、同じくさまざまな長さの戦争の終わり方がある。一般に…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 平和運動においても語り継がれる大部分は実は「戦争体験」である。これは陰画としての平和である。体験…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常にわかりに…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 一方、戦争における指導層の責任は単純化される。失敗が目にみえるものであっても、思いのほか責任は問…
中井久夫(1934年生) 「戦争と平和 ある観察」(2005) *『樹をみつめて』みすず書房(2006) または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から 「 人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である。その亡霊は白昼横行しているように見える。」 「 戦…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「・・・・…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「 精神医…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「 戦後は…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「 ある統…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「 1939年1…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「 優生学…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「 思いお…
ナチ時代の精神医学ー回想と責任 ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の 2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話 DGPPN会長 フランク・シュナイダー 訳:岩井一正 (日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略 「皆さん …
・・・・・ 『全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房) 「収容所のなかに作られる死の社会こそ、人間を全体的に支配することを可能とする唯一の形式であることがあきらかになる。その後全体的支配を要求する人間がしなければならぬことは、個人の…
・・・・・ 『全体主義の起原3全体主義』(新装版・みすず書房) 「人間の人格のこのような特性に打克つ方法はさまざまあるが、それらを実際に列挙する煩は避けよう。 まず最初は収容所への輸送の際の恐るべき状況である。一輌の家畜用貨車に数百人の赤裸の…